筑前国那珂郡警固村福崎のち福岡(現在の福岡県福岡市...
福岡城の中で当初の位置に建ち続けている唯一の櫓です、北隅櫓と西隅櫓に挟まれた30間に及ぶ平櫓には石落しや鉄砲狭間などを備え、城郭の南側の防御の一角を担っていました時期・曜日限定で公開日が設けられており、その時には内部の見学が可能。
☆福岡城47の櫓の中で築城当時の位置に現存する唯一の櫓、当初は慶長12年(1607年)に建造、現在の櫓は嘉永6年(1853年)再建、別称:西平櫓‼️☆30間(約54m) の平櫓、16部屋に分かれ二重二階切妻造りの西隅櫓が接続し、『国指定重要文化財』を形成😁福岡城特有の軒下方杖、腰下見板張り、隅部の袴腰など江戸時代初期の質実な佇まいが趣あり武骨で素敵です⚔️
期間限定でたまたま入れた多聞櫓。
石垣の反りに合わせて立てられている理由を伺った。
屋根は、籠城時の兵糧や矢になるよう竹が組まれている。
🏯福岡城天守台に登ると福岡の市街地が一望出来ます🏞————————————————————————福岡城は、筑前国那珂郡警固村福崎のち福岡(現在の福岡県福岡市中央区)に築かれた江戸時代の日本の城。
別名、舞鶴城、石城。
国の史跡に指定されている。
現在、城跡の主要部分は国の史跡に指定され、舞鶴公園と大濠公園となっている。
城跡には現存櫓や移築された櫓や城門、復元された櫓や城門が点在し、南二の丸多聞櫓とそれに続く南二の丸南隅櫓は国の重要文化財に、伝潮見櫓・大手門(下の橋大手門・渦見門)・移築復元の祈念櫓・母里太兵衛邸長屋門が福岡県指定文化財に、名島門が福岡市文化財にそれぞれ指定されている。
また、南二の丸多聞櫓に続く北隅櫓が復元されている。
なお、平和台球場跡から出土した国史跡鴻臚館跡がある三の丸跡は二重史跡である。
福岡城唯一の現存建物。
重文。
2020年11月訪問。
北側橋と南側橋に2階建のような櫓がポイントとなりかっこいい。
当時開園時間午前9時から午後5時だったので注意。
江戸末期の建築で国の重要文化財です。
福岡城で残っている数少ない建物(上物)の一つです。
貴重なのでぜひご覧ください。
穴場的観光スポットです。
無料で入れます。
土足禁止です。
舞鶴公園「福岡城」の花見の場所としては非常に穴場です通常18時から翌9時までは閉門されている場所の為翌日は気分良く花見が出来ます、また限られた面積の為大人数の会社や団体がおらず静かな花見が堪能出来ます、最大のお勧めは眼前に広がる史跡の多聞櫓の風景です、
南丸から見るよりも、外側の 石垣からの 出で立ちの方が 存在感を感じられます! 花見も終盤になる頃には、ツツジの花が咲いていて 凄く綺麗でしたよ。
【国指定重要文化財】江戸時代から城内に残っている数少ない建物のひとつ。
…二層の隅櫓とそれに連なる三十間の奥行をもつ平櫓からなっている。
現在の多聞櫓は後世の改修を受けたものと考えられ、平櫓は嘉永6年(1853)から翌年にかけて建て替えられたもの。
南丸(二の丸南郭)にある国指定重要文化財の多聞櫓は、南北に二層の隅櫓とそれに連なる三十間の奥行をもつ平櫓からなります。
多聞櫓の内部は、一般に突き抜けの状態となっていることが多いなか、本櫓では、十六の小部屋に別れていたため、戦後、一時期には学生寮として使われたそうです。
また福岡城では城郭の櫓としては珍しく切妻屋根が多く用いられ、その特徴がよく現れている櫓でもあります。
現存櫓で内部はいくつかの部屋になっていて、かつて大学の寮に使われたとか。
イベントだけ公開だそうだ。
戦後、現在の西日本短期大学の学生寮として使われた時期もあったそうな。
工事中でした。
2017.8.11
名前 |
福岡城 南丸多聞櫓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
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福岡城内にある唯一の重要文化財で、これこそありし日の福岡城を伝える遺構と言えます。
櫓の前は広場になっており、桜の季節はここで憩いのひとときを過ごす人も沢山おられることでしょう。