エスカレーター傍にさりげなくあります。
平和公園 松山町防空壕群跡 / / .
エスカレーターの横の道を少し進むとあります。
まさか、戦争時の防空壕を間近で見ることができると思っていなかったので貴重な経験になりました。
原爆の投下地点から数百メートルしか離れていなかったが 防空壕で助かった人もいたようです。
昭和末期の頃はこのような防空後も残っていましたが 今では貴重なものとなっています。
思ったより入り口が小さく、外からの被害を最大限に食い止めるための工夫がされていたと思われます。
平和公園のエスカレーター乗り場から右手の方に小さな穴が4ヶ所あります。
大人だとほふく前進して入らないといけないような小さな穴です。
言われないと見落しそうなところにあります。
戦争の頃はどれくらいの穴の大きさがあったかどうかは今はわかりませんが、爆心地の直下で命からがら防空壕に入った人々も重症な火傷やケガで助かった人はほとんどいなかったとのことです。
絶対に見るべき。
爆心地からたった100m程度しか離れてないほぼ真上で爆発したこの場所で、人が無傷で生き残った場所。
想像力が刺激される静かで力強い場所。
旧松山町防空壕跡』 平和公園 の南側に防空壕が保存されています。
松山町の町民は原爆投下当時は 警報解除中だったため町民のほとんどは被爆しました。
その時、この壕の中で遊んでいた9才の少女だけが、町内唯一の生存者となりました。
名前 |
平和公園 松山町防空壕群跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
095-844-1231 |
住所 |
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評価 |
4.3 |
平和公園を正面からではなく原爆地層の方向から回りこんで入ったため偶然発見。
でも、長崎に来て一番の感銘になりました。
「爆心直下で生存者がいた」。
防空壕が核シェルターになったんですね。
奇しくも広島の爆心直下(現レストハウス)で生存された方もその時、地下室で作業しておられたとか。