武蔵七党の誇り、銅像の迫力。
村山土佐守銅像の特徴
村山土佐守銅像は武蔵七党に属する歴史的な全身像です!
緑豊かな広場内に位置し、落ち着いた雰囲気で佇んでいます。
青梅街道沿いにあり、古刹巡りの立ち寄りスポットに最適です。
東京都は多摩郡瑞穂町に有ります「村山土佐守銅像」です。
近くの古刹の見学と、デカい角煮丼を食べるドライブの途中でたまたま見つけました。
村山土佐守という人物は武蔵七党(という武士団)の中の村山党が出自の土豪で(本姓は平氏)、この辺り村山郷を所領とした一族の様ですね。
所領の村山郷という地名から村山氏と名乗った様です。
また平頼任という武将が村山氏の祖との事です。
村山氏はこの辺りの歴史では重要な一族の様です。
確か武蔵七党は鎌倉時代には源頼朝に従って、治承•寿永の乱(いわゆる源平合戦)で活躍して名前が見えますね。
この銅像の代の村山土佐守が生きたのは室町時代末期~安土桃山時代で、当時は小田原北条氏の北条氏照が主君でした。
ハッキリした場所は分かりませんが、この辺り殿ヶ谷に村山氏の居館が有ったとされるそうです。
因みにこの場所には銅像と説明書きしか有りません。
これまたニッチな歴史好きな、歴史オタク向けの場所でしたよ。
広場内に緑の中佇んでいました。
少しわかりづらいです。
村山土佐守は他の方が説明されている同様村山城の最後の城主です。
実像に関する資料📜は残っていないですが、神仏👼を敬う心のある武士だったそうです。
イイ人ですね〜❗️
昔の偉い人らしいです!あまり目立たずひっそりとあります。
言い伝えを知らないので、よくわかりませんです。
平成25年3月に設置された銅像武蔵七党という武士集団の一人。
中世、この地を治めたとされる村山氏最後の人物であり、殿ケ谷に居を構えていたと伝えられています。
父の実家は会津若松であります。
父より村山家は由緒ある家と聞く。
祖父は若林家より養子に来た父の話では供養壇という場所があるが政治家伊藤正義により今は道路になるのでなんか今はない。
私の実家は北条家の下屋敷がある麻布である。
狭山観音正福寺善昌寺の道中に訪れました。
からこの辺りを治めていた村上氏の銅像だそうです。
正福寺は、この村上氏の菩提寺になっているそうです。
思ったより小さかったのお水もあってきもちいい!
青梅街道沿いの史跡、古刹巡りの際に立ち寄るとよいでしょう。
村山氏はこの近隣の中世史で重要な氏族です。
平安から江戸以前までこの辺りに館や城を築き、氏族の一部は狭山丘陵を越えて山口を名乗り、現在の多摩湖の対岸の所沢市山口の地名ともなっています。
正福寺は村山氏の山城の跡とも言われていますし、対岸には山口城址が残っています。
武蔵七党の一、村山党の出と伝わる。
名前 |
村山土佐守銅像 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.6 |
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ぽつんと置いてありましたが、迫力のある全身像でした!