皇子の中大兄皇子後の天智天皇がこの地で漁民から魚を...
斉明天皇が百済任那復興のため筑紫に大本営を移した際に、皇子の中大兄皇子後の天智天皇がこの地で漁民から魚を貰ったという伝説があり釣殿宮と名付けられています。
三池郡のこんな田舎に天智天皇が来られたということはここが何らかの重要な地域だったのだろうと思います。
境内には西宮という小さな祠があり物部氏の神社で、こうやの宮と関連しているようです。
軍隊を司る物部氏の勢力が濃厚であり、天智天皇の朝鮮半島進出の軍事力の策源池ではないかと思います。
令和5年5月22日参拝御朱印あり(書置き:筑後乃国阿蘇神社社務所にて授与)祭神:景行天皇、御幡神旧社格:無格社無人社。
⛩釣殿宮〔つりてんぐう〕(通称名…つってんさん)筑後乃国阿蘇神社さまの兼務社と伺いました。
筑後乃国阿蘇神社さまから、🚗で5分ほどです。
筑後乃国阿蘇神社さま参拝後、こちらの御朱印もお頒ちいただき、お詣りさせていただきました。
御社殿が新しくなっているようです。
こちらの地区一帯には天智天皇(626~672)が皇太子時代〈中大兄皇子〉に訪れ、住民は島のほとりに網を引き、腹の赤い魚を取り献上したという伝説が残っているそうです。
その後、腹の赤い魚は[腹赤(はらあか)]と呼ばれ、地元では祝いのお供え物になったそうです。
拝殿の魚の彫刻から伝説が蘇えってきます⛩𓆟~~~𓆟✨😊素敵なお詣りをさせていただきました。
どうもありがとうございました(*˘︶˘人💗古書によると、天智天皇が即位前、西国修行で筑後の国江の崎より小佐島(長島)に立ち寄られた折、御労を休められ、網を引く海人に魚を召されました。
その魚の名を尋ねられたら、里人は[はらか]と答えました。
天皇の所望により即位後、この魚を飛鳥へ贈ったとされています。
往年、この釣殿宮は腹赤宮(はらかぐう)とよばれていました。
江の崎より舟を浮かべて御舟を着けられた此の所を[釣殿]といい、社の西に御旗を立てられた所を[御旗の森(御幡の杜)]、御鉾(ほこ)を納められた所を[鉾納森(鉾立の杜)]とよばれています。
豊漁を祈願し、これを象徴化したとみられる『月日と釣り針を描いた旗があります。
秋には、この旗を押し立てて長島全域(宇津、古島地区を除く)でのお祭りがあります。
◕南工区まちづくりきや協議会・みなみ地元学🅿️境内に広い駐車スペースがあります。
新築されて綺麗な社殿境内の恋成就の木が面白い御朱印は 筑後阿蘇神社で書き置きをいただきました。
みやま市釣天宮が建て替わります。
地鎮祭、穿ち初めの儀(うがちぞめのぎ)の鎌入れが行われました。
天智天皇が皇太子時代訪ねたことがあり、そのときの地元の漁師との伝承が残る宮です。
朝倉の宮に滞在していた頃か、少し前の話でしょうか。
古い歴史の記憶が残る場所です。
名前 |
釣殿宮 |
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ジャンル |
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電話番号 |
090-5488-5008 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.7 |
2024年3月参拝。
筑後乃国阿蘇神社さま兼務社田畑に囲まれた水門近くのに鎮座しています名前通り、拝殿に 鯛の彫りが珍しい❗御朱印は、筑後乃国阿蘇神社さまにて書き置きがあります❗駐車場らしき所はなく 行く道も狭くぎりぎり道沿いに止めました❗