少しの高みと石室を持つという痕跡がある。
瀬高の古墳蜘蛛塚古墳。
日本書紀で、神功皇后が征伐した土蜘蛛の女酋、田油津媛の墓と言われ、昔は女王塚。
卑弥呼の墓ではなかろうか。
神功皇后に討たれた田油津媛が眠るとされる古墳。
肥沃な矢部川流域の農耕で栄えた氏族だろうか。
東の山には女山神籠石と呼ばれる古代山城跡があり関連性を感じる。
かつてはこの地を治めていた田油津姫の墓の上に2体のお地蔵様が祀っている。
お詣り中にここのお世話をしている方に会うことが出来た。
「ここは30年前位には、大きな前方後円墳があって、このお地蔵様は後円墳のところに建てられたものです。
お堂ができたのと右のお地蔵様は最近祀られたもので、当時は左の首の無いお地蔵様が倒された状態で見つかって…首は探したけど見つかりませんでした。
近所の家5件くらいで持ち回りでお世話をしていますが、若い人はなかなかしてもらえなくて。
」と話す。
地域の人達の長年の供養で田油津姫も鎮まっているのかなという印象でした(*^^*)
老松宮の境内の一角の小高い所に蜘蛛塚があります。
蜘蛛塚とは3世紀頃神功皇后に滅ぼされたと云われる、土蜘蛛族の巫女女王田油津媛の墓だと云われています。
明治時代までは女王塚と云われていましたが、大正2年神社にあった古墳を新道建設で分断され、その頃より蜘蛛塚と改称されたようです。
分かりにくいし車を停める場所も無しです。
同所蜘蛛塚はは老松神社境内の入り口左手にある塚です。
地元では大塚、その昔は女王塚と呼ばれていました。
瀬高町藤尾の前方後円墳の車塚と同じく、前方後円墳であったが大正2年頃の道路建設により円墳の部分だけ残ったものだとも言われています。
蜘蛛塚に関する事が日本書紀に記されており神功皇后の軍が山門に来て土着の豪族であった田油津姫率いる豪族を討ったとの記述です。
この場所に負けた田油津姫の墳墓が造られたと考えられます。
この古墳からは鏡(三角縁神獣鏡)3枚が出土しましたが現在は紛失し行方不明になっています。
又、この塚を卑弥呼の墓と考える人もおられます。
少しの高みと石室を持つという痕跡がある。
胴張のような形で少し弧を描いているのが判ると思う。
案内は無いが、こうして説明看板だけでもあるのは有難い方ではないかな。
この地域を山門郡と書いて「やまと」と読ませるものだからこの地域を邪馬台国に比定する者まで現れたことは賢明なる読者諸氏であれば既にご存じなのかもしれないな。
日本書紀神功皇后記にあるのだが、「山門県(やまとのあがた)に行き、土蜘蛛ー田油津媛を殺した。
田油津媛の兄ー夏羽が兵を構えて迎えたが、妹の殺されたことを聞いて逃げた。
」と見える。
それが基になって蜘蛛塚と名付けられたのかもしれん。
景行天皇より神功皇后に由来するほうが強いと思われるのだが。
名前 |
蜘蛛塚(大塚) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
歴史的な場所かな?多分……