名前 |
日田養育館址碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
慶應の頃から飢饉が続き、明治二年は最も甚だしかったらしく、翌三年には一揆も起こります。
そういう背景により、この時代堕胎や棄児があとを絶たなかったそうです。
日田県知事松方候は郡内の有志・医師等を集めて話し合い、賛同を得て事業を行います。
候及び有志からの寄付金は数千両になったそうです。
明治二年二月に養育所を開設、それに係わる医師役人は無報酬にて働いたそうです! 諌山菽邨・千原夕田等… また各村々に周旋方を置き、妊婦の調査及び出産の勧めも行います。
分娩した者には御祝儀、自分で養育する者には養育費を与え、養育出来ない子どもは館にて預かり、養育したり里子の世話等行ったそうです。
これにより多数の子どもの命が救われました。