支配権を獲得した。
矢瀬が津留十一面観音 相良三十三観音 第三番札所 / / / .
鎌倉時代の初め、相良長頼は人吉の領主であった矢瀬主馬佑を永吉荘の地頭平河右衛門義高の力をかりて胸川のほとりに連れ出して謀殺し、支配権を獲得した。
しかし、以後相良氏は怨霊に悩まされ謀殺の地に増運寺を建設して霊を慰めた。
幕末の文久2年(1862)2月の寅助火事で観音堂は焼失したが、十一面観音は運び出され難を逃れた。
のちに現在の地に観音堂が再建された。
◆世のわざは 夢の間のたはふれと 思ひ捨てつつ 法を求めよ◆やま河の せぜの流れにかけ留めて 月も宿かる あきのよなかを。
平成28年9月19日参拝相良三十三観音 第三番札所相良三十三観音御宝印帳の宝印あり春のお彼岸と秋のお彼岸のみの限定開帳。
名前 |
矢瀬が津留十一面観音 相良三十三観音 第三番札所 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
矢瀬が津留観音相良三十三観音巡りのポイントです隣接する消防団の小屋にトイレがあります解りにくい場所ではありますが車も停められます。