ボタン押すと歌(沖縄民謡)が流れる。
艦砲ぬ喰ぇ残さー之碑 / / .
復帰直前に飲酒運転の米兵の車に追突されて夫人共々犠牲となった比嘉恒敏が作詞・作曲し、その娘の4姉妹・でいご娘が歌った名曲「艦砲ぬ喰ぇー残さー」の歌詞が刻まれた歌碑。
歌碑右側にあるボタンを押すとでいご娘本人が歌う音源が流れます。
隣接するユーバンタの浜には澄み渡る青空の下、無邪気に遊ぶ子供たちの姿が。
この平和な光景が今後も末永く続きますように🙏
先の沖縄戦、アメリカ軍は沖縄本島進行作戦手始めとして此処、読谷に上陸する事を目指し、徹底した艦砲射撃を浴びせました。
そんな激しかった艦砲射撃にも撃たれる事も無く生き残ってしまった人達の嘆きを歌った『艦砲ぬ喰ぇ残さー』之碑が設置されてその歌を聴く事もできます。
今はただ静かに佇む目の前の海を見ながら沖縄戦がもたらしたものや平和について感慨に耽ってみるのも良い機会かと思われます。
すぐ横にユーバンタ公園があり。
駐車場はあるけど少しだけ。
みんなが散歩してます。
近づくと音楽が流れるようになってます。
沖縄の歴史も知れて、綺麗な海に癒される素敵な場所です🌊
ボタン押すと歌(沖縄民謡)が流れる。
戦争にまつわる歌碑です。
歌も聞くことができます。
美しい海や空をみながら、平和について考えることができます。
楚辺集落ユーバンタ浜に建立されている〝艦砲ぬ喰ぇ残さー〟の碑と歌碑。
楚辺集落発祥の地とされるこの場所に歌碑が建立されたのは平成25(2015)年のことでした。
碑と歌碑は別の物で注意が必要ですが、やはり歌碑に備え付けてある〝音楽の鳴るスイッチ〟は壊れているようで、サトウキビ畑の歌の碑と同様メンテナンスが必要でした。
米軍上陸地から直線距離にするとさほど離れていない場所にあることから、やはり昭和20(1945)年4月1日には海が艦船で真っ黒になっていた光景が広がっていたのだと推測します。
碑の名前である〝艦砲ぬ喰ぇ残さー〟と言う名称が知られ過ぎており、その歌の内容まではあまり分析されていないようにも思います。
私自身も沖縄戦中〜戦後の様子を歌にしたものだとしか考えていなかったこともあるのですが、5番まである歌詞の繰り返し部分にされている〝うんじゅん わんにん いゃーん わんにん 艦砲ぬ喰ぇーぬくさー〟とはヤマト言葉になおすならば〝あなたも私も俺もお前も艦砲射撃の食い残し〟となり、運良く生き残ったとは考えていない気持ちが込められていることに気付きました。
艦砲射撃にすら〝喰われなかった〟とは、嫌われた結果生き残ったと言っているように思えて仕方がなく、それに加えて各番の歌詞に書かれている内容が、その様子を表しているように感じました。
訳して始めてわかったようなことですが、やはりウチナー言葉で書かれている沖縄民謡ゆえ、現文そのままで解釈するとまた違う思いを感じることができるのかも・・・。
そんな気持ちになった〝艦砲ぬ喰ぇ残さー〟の歌碑でした。
天気の良い日は展望エリアにて東シナ海を満喫出来ます。
駐車場は有りません。
沖縄戦で米軍が読谷村海岸一帯に上陸し橋頭堡を作った地である。
それ故に上陸前の米軍の艦砲射撃は壮絶で草木も残らなかった。
その当時の凄惨さを沖縄の人達が記憶に残すために歌にしている。
この碑の前にはボタンがあり押下するとその歌が流れ聞く事ができる。
同時にここは公園であり海岸にも降りれる。
楚辺浄化センター通用門の前がこの公園と碑がある。
車は駐車できない。
沖縄戦の過去の所以から楚辺の米軍トリイステーション基地は特殊部隊グリーンベレーの拠点基地である。
Nice place to go!
名前 |
艦砲ぬ喰ぇ残さー之碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
当時の歴史を知り、思いを馳せながら音楽を聴くと、言葉にならない気持ちになる。