一般には立ち入れない聖域です。
一般には立ち入れない聖域です。
ここ弁ヶ嶽周辺の海抜は160m以上あり、沖縄本島中南部で最も高い地域の1つです。
別名「弁ノ大嶽=びんぬうたき」と呼ばれています。
この森全体が聖域となっています。
沖縄戦で、この地において激戦が展開されるまでは、琉球松などの大木が茂っていました。
弁ヶ嶽は参詣道をはさんで、東側の小高い杜になっている方が大嶽(うふたき)、西側の低いほうが、小嶽(くたき)となっています。
「琉球国由来記」によれば、大嶽の神名は「玉ノミウヂスデルカワノ御イベヅカサ」、小嶽は「天子」(テダコ)と記されています。
王府時代,1・5・9月に国王が親ら訪れ、祭祀が行われたそうです。
沖縄戦で消失した石門は、1519年に首里城歓会門前の「園比屋武御嶽石門」(ソノヒヤンウタキ)とともに築かれたといわれ、その構造や工法も似ていた。
この石門は1938年(昭和13年)、国宝指定されました。
現在のコンクリートづくりの門は、1954年(昭和29年)にハワイの「うるま一心会」からの寄付金を得て、首里鳥堀町民の奉仕によってつくられた。
かつては石門の前に、拝殿(フェーディン)と呼ばれる建物がありました。
(境内の案内石碑から内容抜粋)隣にある弁嶽井について、琉球王国時代、「お水取り」という儀式がありました。
国や子孫繁栄、作物の五穀豊穣を願い、以前は国王自ら久高島で「お水」を汲んでいましたが、この時代の航海は危険を伴うため、聖地である弁ヶ嶽から涌き出る井戸を整備し、お水を汲んでいた場所です。
名前 |
弁之御嶽 大嶽 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
4.8 |
神聖な場所です。