首里を沖縄戦での要と位置づけ膨大な労力と資材を投入...
戦争遺産凄くわかり辛い案内も少ない。
沖縄戦で陸軍が最後に拠点とした洞窟です。
崩落等で危険なので立入禁止です。
司令官の牛島満大将が自決した場所です。
2020年に地下壕内部が公開された。
保存や公開に向けて議論がされている模様。
大切な”負の遺産”です。
第32軍は帝国陸軍の軍の一つです。
1944年(昭和19年)3月15日に編成され、沖縄本島に司令部を置き奄美群島から先島諸島をその守備範囲としました。
司令部は首里に置かれ、首里城の地下に大規模な地下壕が掘られました。
首里城の華やかさばかり注目されているが、沖縄戦の戦争遺跡が忘れ去られたように朽ち果てているのが悲しく思う。
沖縄戦で日本軍は当初、首里を沖縄戦での要と位置づけ膨大な労力と資材を投入して司令部を構築しました。
司令部壕の総延長は1000メートルで首里城の地下を南北に通っていて、深さは地上から15メートルから35メートルで艦載機や軍艦からの砲爆撃にも耐えられる構造となっていて1000人程の日本兵が生活していたそうです。
内部には軍の幹部が利用するスペースの他に浴室なども完備されていたそうです。
沖縄戦の戦況が悪化したことで、この司令部壕は放棄され爆破されました。
沖縄県ではこの司令部壕の保存と公開を検討しているということですが、膨大な費用が掛かることから計画がなかなか進まないということです。
首里城の守禮門から本殿に上がる坂道をそれた森の中にあります。
『捨て石』とはなんだ!失礼な!壕の説明も間違いばかりだしテキトーだな。
入り口が残ってるだけですが、首里城公園に行った際に、龍潭の近くにあるので立ち寄るにはいいと思います!
首里城の扱いに比べてかなり地味です。
戦争遺構として貴重なので、保存・整備出来ないものでしょうか(-_-)
高地にあるので場所としては適切な所とかんがえます。
内部には立ち入れませんが大規模な地下壕があったようです。
海軍司令部壕の整備ぶりに比べると入り口しか見学できず、関連施設の案内もないため、大変わかりづらいです。
それでも首里城の見学のついででもいいから訪れるべき場所です。
草が生い茂りぱっと見はわかりませんでした。
獣道の様な感じで林の中にある感じです。
他の方も指摘されていますが、基本的に付近に案内板がない為地図を見るか人に聞かないとわかりづらいです。
首里城自体他の城と違い余り見所がないので、もう少し活用した方が良いと思います。
旧海軍の司令部跡と比べ、なんでこんなにも・・・と哀しい気持でいっぱいになりました。
沖縄戦を主導した陸軍32軍司令部壕の跡です。
初めて来た時、ここでいったい何人の人が亡くなったのだろうかと、しばらく立ち尽くしました。
非常に生々しい遺跡です。
名前 |
第32軍司令部壕 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.3 |
夕暮れ時でしたので、真っ暗。
御嶽の近くに壕が、分かりませんでしたね。