三春町のほぼ中心、大志多山の山頂に本丸跡が残されて...
地元では舞鶴城として親しまれている三春城。
日本続100名城になっている。
駐車場に行くまでの道のりが中々に険しく焦りました。
城跡で、緑がきれいな印象です。
続100名城に選ばれている城で昔の絵図などを見ると石垣で出来た立派な城だったらしいが今はその面影はなく僅かな石垣が残っているだけです。
それほど広大な城でもないので戊辰戦争で無血開城したのも少し頷けます。
三春町のほぼ中心、大志多山の山頂に本丸跡が残されている。
城跡は公園となっており、春には桜が咲き誇る。
北側の搦手門から入城可能で、100段ほどの急な石段を上った先に、本丸跡を見ることが出来る。
本丸跡からは遠く安達太良山や磐梯山などを望むことが出来る。
1500年頃に田村氏によって築かれた城で、伊達政宗の妻にあたる愛姫が生まれた所でもある。
その後秋田氏11代としての居城を経て、明治維新で廃城となった。
南側の保健センター右側の道から入城出来るが、他のコメントにもある様にかなりの急坂なので、運転注意。
その先、本丸跡下の駐車場まで続く道も20度くらいの急坂なので、手前に路駐もあり。
続日本100名城の110番三春城跡は、三春町の中心部、標高407mの丘陵地にあり、戦国時代は田村氏、江戸時代は松下氏、加藤氏、秋田氏の居城であった。
現在は公園として整備され、桜の名所としても知られている。
城跡近くには、町役場など公共機関が集まっており、現在も三春町の中枢部である地域である。
wikiより現在は山の公園といった感じで城を感じさせる遺構はほぼない。
スタンプは二の丸跡付近に置いてあるので24h可能です。
郡山から路線バスで麓まで行けますが時刻表は調べた方がいいです(帰りも)本丸から北側に抜ける道から僅かに残った石垣が見られます。
景色が良いです。
春が楽しみ。
続日本100名城に選出された城。
整備はある程度されているが、駅から徒歩で向かうと城の場所を示す指標は見当たらない。
登り口もいろいろあり、坂にも名前はついているが、城を示す指標はなかった。
搦手方向の三分坂から上ったものの搦手門跡に向かう坂はなぜかロープが張られている。
(上から周るしかなくなる)二の丸跡にある概略図と本丸付近の標柱の表記が一致していない。
これは標柱が示すものは戦国時代の名称で、概略図は江戸時代の構成での表記のためで、分かり辛い状態になっている。
江戸時代の二の丸跡は城山公園(児童公園)で、かなりの高低差がある。
三の丸跡の東館(戦国時代の名称)もかなり離れた場所にある。
そのため全てを見て回ると結構な時間を要し、曲輪も複数見られるが、何処に何があるのか指標が立っていないため縄張図を片手に持って行かないとわからなくなる。
私が行ったときには、スタンプ置場にパンフレットはなかった。
規模が大きく感じた。
ひと山城跡で建造物も無く、頂上が平らになっているだけなのだが、眺めの良い公園になっている。
初めての訪問では道路標識も見つけられず、入り口が分らず、ナビとにらめっこしながら周りを2周したあと、上に登って行ったら駐車場にたどり着いた。
郭が駐車場になっているようで10台も停められないが、本丸跡のすぐ下まで行ける。
二の丸跡の展望の良い崖に、お城をかたどったイルミネーションが立っていた。
どんな感じなのか見てみたかった。
三春城(みはるじょう)は、陸奥国田村郡、現在の福島県田村郡三春町にあった日本の城。
三春町指定史跡。
別名舞鶴城。
三春藩の藩庁であった。
三春城跡は、三春町の中心部、標高407mの丘陵地にあり、戦国時代は田村氏、江戸時代は松下氏、加藤氏、秋田氏の居城であった。
現在は公園として整備され、桜の名所としても知られている。
城跡近くには、町役場など公共機関が集まっており、現在も三春町の中枢部である地域である。
続日本100名城のひとつ。
スタンプは大門跡(本丸近く、坂道を登りきったところ)と三春町歴史民俗資料館にあります。
駅からは城跡までは、車で10分ほど。
県道から城の麓にある城山公園の駐車スペースまで、かなり狭く急な道を登ります。
駐車スペースは狭いため、注意しないと見落とします。
典型的な山城で、比較的急な山道を15〜20分ほど登ると本丸跡に到着します。
遺構として石垣や土塁など。
本丸、二の丸等の郭ははっきりとわかります。
頂上からの景色はなかなかのものです。
滞在時間としては、45分〜1時間でぐるっとすべてをみてまわることができます。
近くにある三春町歴史民俗資料館は、小さいながらも三春城に関する展示もあり、一見の価値あり。
車で5分ほどの距離です。
伊達政宗の正室、愛姫ゆかりの城。
駐車場まで急坂なため若干注意が必要です。
本丸から崖下に街並みが望めます。
本丸周囲を歩くと岩盤を削った跡が見られます。
戦国時代、田村氏の居城。
後に田村宗顕の後見人伊達政宗はこの城を足がかりに南奥羽を制圧していきます。
政宗の正室愛姫生誕の地碑があります。
続100名城の一城です。
下調べなく、車で行くと駐車場が点在しているので、効率的に攻めるのが困難になります。
スタンプ置き場には、パンフレットが常備されています。
古地図の確認もできるパンフレットで嬉しい一品です。
三春城(別名、舞鶴場)跡は、町役場など公共機関が集まる三春町の中心部の山、標高407メートルにあり、戦国時代の永生年間(16世紀初頭)に田村郡全域を支配していた田村義顕が守山城(福島県郡山市)より三春城に本拠を移してとされています。
その後、江戸時代は松下氏、加藤氏、秋田氏の居城であった。
現在は公園となっていて、城跡近くには、町役場・小学校・歴史資料館などがあり、春になると桜の名所にもなっています。
三春町の名称の由来には桜・桃・梅が同時に咲く事から三つの春が同時に来ると言う意味が含まれています。
明利系加藤1627-1628年 3万石松下宗家1628-1644年 3万石秋田宗家1645-1649年 5.5万石1649-1871年 5万石。
名前 |
三春城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.7 |
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田村さんのお城。
公園になっていてあまり険しいところはありませんでした。
気持ちよく回れるところです。