街の中の雰囲気のよい神社です。
今回は1月5日の遅めの初詣。
以前は祖父母と暮らしていたので隣町なので毎年のように祖母と初詣に来ていました。
入り口の鳥居が新しくなっていますね。
ここ最近は初詣といえば塩竃神社に行っていたので久しぶりの初詣です。
派手さや豪華さはありませんが質実剛健といった雰囲気です。
私の名付け親がこちらの神主さんです。
祖父が親交があり祖父と父が初孫、初子供で命名を譲り合わず当時の神主さんが仲裁に入り名付けてくれた経緯です。
祖父の家には池があり鯉を飼っていましたが私が取ってきたザリガニを池に入れたりしたために鯉を全て日高神社に寄付した事もありました。
ここに来る度に祖父の鯉を探したものです。
大きさや見所は少ないですが神聖な凛とした場所です。
毎年こちらの神社には、初詣の時に行っています。
今年はコロナの影響で行った時にはあまり人が居ませんでした。
境内のお店では、ソーシャルディスタンスで、赤いコーンを回りながら御守りとか買いました。
奥州市水沢の武家屋敷跡近くにある神社です。
天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)など8柱を御祭神として祀っています。
境内には、天然記念物にも指定されている御神木や、留守家の歴代当主を祀る瑞山神社、学業成就のご利益があり受験生が多く足を運ぶ天神社など、複数の社があります。
私の名付け親がこちらの神主さんです。
祖父が親交があり祖父と父が初孫、初子供で命名を譲り合わず当時の神主さんが仲裁に入り名付けてくれた経緯です。
祖父の家には池があり鯉を飼っていましたが私が取ってきたザリガニを池に入れたりして鯉を全て日高神社に寄付した事もありました。
ここに来る度に祖父の鯉を探したものです。
大きさや見所は少ないですが神聖な凛とした場所です。
鳥居をくぐってから目の前に杉の木があり、その大きさに圧倒されます。
水沢市指定天然記念物だそうです。
拝殿の周りは大きい杉の木やもみじの木々がたくさんあり、とても涼しく風がよく通る気持ちの良い場所でした。
末社もたくさんあり、瑞山神社もありました。
こちらの御朱印もいただけました。
日高神社は奥州市水沢に鎮座する火防(ひぶせ)の神を祀る社として有名です。
春の例大祭(4/29)には着飾った早乙女達が囃子屋台の上で小太鼓を打鳴らす日高神社火防祭は、京都祇園祭に流を組む300年の伝統芸能です。
境内には源義家が安倍貞任を討ち、その太刀を洗った場所と伝わる「太刀洗川の碑」が有ります。
また、姥杉と呼ばれる2本の御神木の杉が聳えてます。
その一本は前九年の役で安倍一族を征討した事を祝す宴が開かれた際に、源義家が使った杉の箸を地面に刺した物が根付いて巨木になったという伝説があり、別名「義家杉」とも呼ばれます。
【岩手県神道青年会HPより】 人皇五十二代嵯峨帝引仁元年(810)に勧請。
創建される。
奥州三ヵ所の一(日本国内二十四ヵ所ありという)、後冷泉帝康平四年(1062)鎮守府将軍源頼義・義家が、安倍貞任と闘う。
この地に大雨頻りに降り雌雄を決せんとして、妙見宮に祈願し、未の刻に大雨止みて戦勝せり。
依って神鏡一面を献じ、未の妙見堂と尊号す。
社地黒印地たり、社堂・源頼義筆という請願主社存す。
留守家景公(加灘寺殿瑞山祥雲大居士)代々の留守家の祖霊並びに初代宗利公、追腹八士を祀る。
保栄堂とも号す。
嘉永六年(1853)九月宮城郡志波社境内より遷す。
宗利公は(四十九歳)寛永十五年(1638)八月十五日卒す。
殉死者は八月二十六日追腹、乱世の歌あり。
パワーを感じます。
おみくじも自分にぴったりなことばを貰えました。
とても尊敬している先輩と仲良くなれたのは縁を繋いでくれたからかもしれません。
駐車場が分かりにくいのが難点でしたがこれから毎年訪れることになるでしょう。
綺麗に掃き清められていて、気持ち良いです。
天御中主神、火産霊神、大年三神、の三柱を祀る…日高妙見宮。
4月に水沢最大の火防祭(ヒブセマツリ)がある。
名前 |
日高神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0197-23-4021 |
住所 |
|
評価 |
4.3 |
奥州市水沢の由緒正しき神社です。
見た目は派手ではありませんが、厳かな感じがして落ち着きます。
駐車場もあります。
神社の外回りを散策するのもいいですよ。