公園の中にあるので分かりやすい。
公園が整備されていて、駐車場とトイレも有ります。
両軍が陣を張った中間地点ぐらいの位置でしょうか?川を挟んだ西側に天王山が見えます。
史跡としては説明看板と石碑があるだけです。
羽柴秀吉、明智光秀による山崎の戦いの最前線。
円明寺川(現 小泉川)を挟む攻防。
約1時間で勝負が着いたそうです。
ぽつんと石碑が佇んでいて少しシュールですが、近くのボードには山崎の合戦についての説明もしっかり書いてあります。
平成二十三年に出来た石碑。
新しいです。
この辺一体で合戦があったのかもしれません。
天王山夢ほたる公園の中についでにある史跡と言った感じ。
ここから見上げた天王山が美しいので来ることがあれば眺めてみてほしいです。
公園の中にあるので分かりやすい。
天王山(山崎城)前に川が有り河原の古戦場ですね。
石碑は高速道路の下に有り現在は公園として整備されてます。
高速道路の下。
夏に高速道路が庇に。
ここがあの有名な 山崎の合戦の場所か····公園の中にぽつんと 石碑があります(^_^)普段よく通っている所なので 不思議な気分(^・^)
歴史を感じる場所。
現在子供が賑わう公園となり、よき。
お味方総崩れの報を聞いて恐慌をきたす光にゃん・・・・口をあんぐり開けて手を当ててます。
西山天王山駅から、徒歩10分くらいで公園の中に石碑があります。
案内板があります。
高速道路の真下にある公園の中にポツンと石碑が建っています。
すぐ近くに説明板もあります。
この辺一帯が古戦場なのは間違いないと思いますが、なぜこの場所に石碑が建てられたのでしょうか?それはここから天王山がよく見えるからかもしれませんね。
公園でほっこりできる。
歴史に浸れるんで⁉️
彼の有名な山崎の戦い。
明智光秀が当初の布陣を予定した大山崎は、天王山の麓を背にしながら淀川の恵みに接し、物流の要衝として古くから発展していたお土地柄です。
本能寺の変の後、明智光秀は統治の体制を整える間もない混乱の最中、大山崎の天然の地の利を発揮して羽柴秀吉を迎え撃つつもりでした。
川と山に囲まれ、沼と湿地に挟まれた幅の狭い行軍導線の先頭を集中的に叩くという光秀の策略は確かに有利です。
あるいは机上の戦術面では光秀が勝っていたかもしれません。
異例の強行軍だった秀吉の軍勢は疲労を極めていたはずですから、数に劣る光秀の軍勢にも勝機はありました。
しかし実際の光秀は、大山崎から南東に位置するこの場所に陣を敷きました。
現在の大山崎ジャンクションの東側あたりです。
∴小泉川(円明寺川)に沿って東にスライドした分だけ秀吉軍の散開を許したと思います。
当時、いまいち世論の味方を得る事ができないまま勢力の拡大に苦慮していた光秀は、大山崎や周辺の衆目に触れ出した禁制に拘るあまり体裁(いまでいう世間体)を重んばかり、合戦の場を大山崎から中途半端にスライドしてしまったので当初の戦術の利を活かしきれなかったと思われます。
歴史にIFはないといいますが、もしも賢明な光秀がここ一番で腹を据え、大山崎にて当初の布陣を敷き、縦に伸び切った秀吉軍の行軍の先頭を逐次に鉄砲(飽和攻撃)で叩いていたら。
しかし光秀にはクリティカルな助言を行う部下はいなかった。
人望がない、というか人気がない。
秀吉の様な人たらしではない。
優秀な官僚だが政治家ではない。
そんな気がします。
名神高速の大山崎ジャンクションから京都縦貫自動車道に入ってすぐの高架下にある「天王山夢ほたる公園」の中に、石碑がたっています。
古戦場を思わせる施設などはありません。
天王山夢ホタル公園の北側にひっそり立っている石柱。
山崎の戦いの解説板はあるが、それ以上の資料はここにはない。
公園には駐車場があるがわざわざ石柱と解説板を見るために来るようなものではなく、徒歩だと駅から遠い上に付近に観光要素がないので苦行以外何ものでもない。
歴史探訪ウォーキングという感じでルートを計画してしっかり腰を据えるのであれば休憩も兼ねて立ち寄りたいポイント。
高速道路下の公園に小さな新しい石碑と説明文があります。
天王山がよく見えました。
当然ですが遺構等はありません。
想像で偲ぶだけです。
この辺りでも戦闘はあるにはあったでしょうが、実際は天王山にほど近いJR山崎駅付近の西国街道で両軍は激突しています。
街道の雰囲気が残っているので、古戦場を訪ねられる方はそちらをおすすめします。
あまり、歴史感は無いですが…
豊臣秀吉と明智光秀が戦った有名な戦いの場所です。
高速道路のジャンクションがあって、当時の面影は全然感じられない。
古戦場跡の石碑は現在、天王山ほたる公園の中に移動しました。
学校の周りをウロウロするも石碑が見つかりませんでした……調査不足でした。
名前 |
山崎合戦古戦場跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
関連サイト |
https://www.town.oyamazaki.kyoto.jp/kanko/modelcourse/2885.html |
評価 |
3.4 |
2023/4/9先週は天王山の旗立松展望台から古戦場跡を眺めたが、今日は古戦場跡、現場に来ました。
ここにも堺屋太一さんの説明と岩井弘さんの挿絵が有ります。
旗立松展望台の4枚目の絵に「勝負はこの川沿いで決まった」と有りますが、正にこの場所なのです。
兵力で劣る光秀軍は天王山と淀川の間の狭い道を出てくる秀吉軍を攻撃する作戦。
ところが旗立松展望台の4枚目の絵には開始1時間後の絵。
不利に陥る光秀の顔、勝利を確信する秀吉の顔色とがくっきりと描かれています。
負けた光秀は近くの勝龍寺に逃げ込み、本拠の坂本城をめざすも小栗栖辺りで竹槍に…あぁこの古戦場、地元の人が整備してね、今はだいぶ綺麗になり、ホタルの住みかに成ってるわ✨勿論無料の公園ですよ!