ますますその人気が高まっています。
前九年の役で源頼義・義家が安倍氏追討を祈願した場所といわれています。
お堂は小さいですが、中には弓を持ち馬に乗る武神様が祀られていました♪
大好きな八幡太郎義家そして、八幡様の寛大さ神様、仏様、ご先祖様ありがとうです。
中尊寺の参道を外れて山道を歩くとたどり着きました。
岩手県平泉の中尊寺(ちゅうそんじ)は世界遺産に登録され、ますますその人気が高まっています。
この中尊寺周辺には主要な観光名所がいくつかあり、八幡堂(はちまんどう)は押さえておきたい場所の一つです。
中尊寺の八幡堂は月見坂の入り口付近にあり、茂みの中にひっそりとたたずんでいます。
八幡神はやおよろずの神々の中で最も早く仏教にとけ込み、仏教では八幡大菩薩と呼ばれています。
祭神を応神天皇とすることから皇室の祖神、国家の守護神、源氏の氏神として八幡宮は諸国に造建され広く信仰されています。
中尊寺での創建は天喜5年(1057年)当時陸奥守であった源頼義と子の義家が俘囚の長である安倍氏を討つ(前九年合戦)為、中尊寺境内月見坂で戦勝祈願した事が始まりとされます。
なおこの時、阿倍一族の中には奥州藤原氏の祖となる藤原経清(妻が阿倍氏出身で阿倍氏の頭領 安倍貞任とは義理の兄弟)がおり、藤原経清の子供が後に奥州藤原氏の初代藤原清衡となるのです。
当時、鎮守府将軍と呼ばれた源頼義とその子供である源義家が平泉を支配していた安倍氏を討つために、ここ中尊寺で勝利祈願をしました。
そのために建てられたのが八幡堂といわれています。
勝利祈願というのは、当時の武将にとっては、本当に命がけのことでした。
この場所に、源頼義と義家がいたということを、想像するだけで、胸が高鳴ります。
中尊寺は穏やかで美しい場所というイメージあるかもしれませんが、戦の端々を知ることができる建物も見ることができます。
中尊寺の堂宇の一つ。
前九年の役で源頼義・義家親子が戦勝を祈願したと伝えられることから、歴史的には中尊寺よりも古いことになる。
参道からは少し外れた場所にあるため、参拝者は少ない。
人がいません。
それがいい。
じっくり拝見します。
石清水八幡宮より勧進し、前九年の役の戦勝を祝ったとのこと。
時を経て、神仏分離により八幡宮から八幡堂になったようです。
名前が変わっても、破壊されず失われずに本当によかった。
激変期を幾度も見てきた小さいながらも歴史の証人でもある御堂です。
じっくり見過ぎて、近くにある「赤堂稲荷大明神」に行きそびれてしまいました…
超ひっそりしてます(笑)
ひっそりと佇む御堂。
名前 |
八幡堂 |
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ジャンル |
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住所 |
〒029-4102 岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関43−43−1 |
評価 |
3.3 |
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坂の途中に隠れています。