養蚕にも用いられた。
延喜式式内社。
本殿は、一間社流造、檜皮葺 極彩色がとても綺麗です 現在の社務所は、もとは棚倉孫神社の神宮寺松寿院の建物でした。
松寿院は明治初年に廃寺となりましたが、明治10年、ここに「盍簪家塾」(こうしんかじゅく)が開かれました。
この塾は田辺小学校の校舎が完成するまで、小学校卒業後の学習の場として地元で活用されていました。
本殿は天正二年に建てられたもので、大変歴史のある神社です。
年始は初詣客で賑わっていますが、普段は落ち着いて参拝することができます。
厄払い、七五三詣りのご祈祷も前もって予約連絡をすれば行っていただけます。
神社へのアクセス路はかなり狭いですが、奥にはかなりの台数が停められる駐車場がありますので、車での参拝も安心です。
一休寺から京田辺駅迄歩いて帰る道に鎮座されていたので、想わず参拝して来ました。
小高い丘の上のコンパクトな神社みたいな雰囲気でした。
綺麗に調えられています。
ナビに案内されて22号線から斜めに坂道を上がりました。
上がってまた下がります。
道幅が狭くジェットコースターの様な急坂です。
他の方の投稿にありましたが公園の方に駐車スペースがあれば次はそちらに止めようと思いました。
境内はとても綺麗にお手入れされていて、気持ちの良い空間が広がっている素敵な神社です。
また参拝させていただきます。
令和3年7月5日(Monday)七夕も近い事もあって、星田妙見宮と磐船神社経由にて。
こちらの棚倉孫神社へ、初めてお詣りさせて頂きました🙏✨神社へは急な坂を上り、そのまま下れば広い敷地にたどり着けます。
そこには大きな木が5、6本ありました。
そこに車を置かせて頂きました。
鳥居をくぐると左側には金比羅社。
石段を上れば本殿です。
朱色の本殿の脇には、くちなしの花の甘い薫りが立ち込めていて。
とてもリラックスした状態になりましたよ。
本殿の右側には五社殿もあります。
またこちらの狛犬がユニークで、鼻が大きくてアニメのキャラクターにいそうでした😊🎶神社の脇に流れる用水路があって。
土手を歩いてましたら大木が目に入り「もしやお社あり?」(笑)川を渡ったそこには、小さな鳥居と稲荷社がありました。
大木にいたカラスが騒ぎ立てましたが、しばらくしたら鳴き止んでくれてました。
地図には載ってないようです。
素敵な神社に巡り会うことができました。
より良きご縁を結べて感謝です🙏✨
御祭神:高倉下命社伝によれば、推古天皇31年(623)に相楽郡棚倉之荘から勧請されたと伝えられています。
延喜式神名帳にも記載がある式内社で、御祭神の高倉下命は天照大御神の曾孫と伝えられています。
高倉下命は初代・神武天皇の東征の際、布都御魂の神剣を奉り大功をたてられたと言われています。
拝:2021/11/03
2年に1回、秋に例祭が行われます。
今年は、巡行はありませんが、瑞饋神輿の飾り付けをされていました。
屋根は赤ずいき、プチトマトのような見た目の赤茄子や、唐辛子、金柑などが飾りに使われます。
本体は、大豆や小豆などが、一面に貼り付けられています。
昭和4年に戦争などの理由で中止になりましたが、昭和53年に巡行が再開されたそうです。
10月13日に神輿が完成し、お祭りは、15日です。
詳しく説明していただきました。
凄く立派な神社です。
ひそかに大木がそびえ立つ気の良い神社さんでした😊
∞のエネルギーを感じれた空間。
ヒーリングスポットです。
令和二年に1月1日に初詣参拝しました❗清々しく静粛な雰囲気に僕が参拝時間帯には人気が無く❗パワースポットにも迫力を感じました‼️
横が小さな公園で隣接して駐車場がある。
駐車場から直接神社に入れるようになっているので、ここは神社の駐車場なのかも?ただし22号線からはだいぶ入り込んだ場所なので車では分かりづらいと思う。
神社は実に雰囲気が良い。
拝殿と本殿が分離していてどちらの社殿も全体像がよく見える。
特に本殿は塀に囲まれているものの朱色を基調とした美しい姿を拝めるのがありがたい。
この神社のもう一つ特長ずいきの神輿は何の隔ても無く間近に見られる。
こんなにオープンで大丈夫なのとこちらが思ってしまうほど。
境内には樹齢300年以上の巨木も存在感を放っており、本当に良い雰囲気の神社だ。
天井川の側にあります。
2019.10.1配信許可もらいました。
10.6にニコ生で配信予定綺麗で良かったです。
色々説明書きがあり助かりました。
御神輿がよかったです。
スリムな狛犬さんがいい!
棚倉孫(タナクラヒコ)神社の瑞饋(ズイキ)神輿を拝見しました。
大きい神輿は2年ごとの秋祭りに作成・巡行、小さい子供用は毎年の作成とありました。
常時展示されているようですが、2か月ほど経っていますので屋根のずいきをはじめお飾りが干からびています。
「棚倉」とは穀物を収蔵するに当たり、湿気をさけるための床を設けた倉庫をいい、養蚕にも用いられた。
筒城(綴喜)は古来から渡来人による養蚕の盛んな地域であり、その蚕は貴重で「天の虫」ともいわれ、蚕が棲む倉を崇め神格化して祀ったのが神社としての興りではないかとも考察されている。
境内には、本殿のほか、拝殿、絵馬殿、社務所、式場などの建物が並び、本殿手前右手にある石造燈篭は桃山時代の作である。
2年に1度の例祭では、秋の収穫を祝って約30種の穀物や野菜などで飾られた「ずいきみこし」がくりだされる。
高さ3m、1.5m四方、重さ約1トン、屋根に赤ズイキ、鳥居に青ズイキ、壁に大豆、三度豆、玄米、小豆、頂上の鳳凰には南瓜や百日紅の花、他にも赤、青の唐辛子、赤なす、たかのつめ、菊の花など全部で30種類ほどの野菜や穀物、乾物が飾りつけられ、神々に五穀豊穣を祈願する。
天香古山命(あまのかごやまのみこと)を祭神とする旧天神ノ森の産土神で、元は天神社または天満宮とも称していたが、明治になって式内棚倉孫神社と改めた。
本殿は、一間社流造り桧皮葺であり、桃山時代の建築である。
拝殿は入母屋造りで、前後に軒唐破風を設けた桧皮葺の江戸時代中期を代表する建築である。
社務所は元の神宮司であった旧松寿院で、現存する江戸末期の貴重な建物である。
その他本殿の右側にある四角形石灯籠は天正2年(1574年)刻銘があり、桃山時代の傑作である。
絵馬舎には白川芝山筆の「猛虎図」のほか絵馬十数面を掲げている。
境内全域はクスノキやシイの常緑広葉樹が繁茂しており、文化財環境保全地区となっている。
一度坂を登りますが、下って再びのぼり本殿へ。
式内社 山城国綴喜郡 棚倉孫神社(大 月次/新甞) 御祭神:高倉下命(たかくらじのみこと)=天香古山命(あめのかごやまのみこと)=手栗彦彦命(たぐりひこのみこと)推古天皇31年(623)9月に相楽郡の棚倉ノ庄より高倉下命を勧請するとある。
天照大御神の曾孫(ひこ)で、天神の直系である。
「記紀」によると天孫降臨に父・饒速日命と共に降り紀州熊野に住み、神武天皇の東征の時、布都御魂の神剣を奉り大功をたてられたとある。
名前 |
棚倉孫神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0774-62-2460 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
周辺のオススメ
![](./loading.gif)
神社のある場所はその付近の一段高い場所によくありますが、ここの神社も一段高い場所にあります。
入り口に付近にもう一段高い場所に川というか用水路が流れていて不思議な風景です。
神社の入り口から車で入ると中は広い駐車場というか広場がありますが信号のある場所が出入りに苦労しそうなので、神社の裏側の住宅街に面した「田辺棚倉公園」の横の駐車場に停めさせてもらい参拝しました。
とても広くて清掃が行き届いた神社です。
お神輿が置いてあったので写真を撮り帰ってきてから改めて写真を見るとお神輿は農作物で飾られているのに気付きもう少しくわしく見ておけば良かったと思いました。
地元の人が奉納された絵馬と言うか判りませんが「〼と木の棒」を沢山飾っています。
時々、他の神社でも見かけますがこんなにたくさんあるのは初めて見ました。
どういう意味があるのか気になりました。
※不思議な絵馬についてX(Twitter)「狭野の人」さんが詳しく説明されているので引用させていただきます。
升と斗掻の絵馬米寿の風習。
古くは、米寿を迎える方がお客様を招いて行われました。
その際、寿福にあやかるよう、招いた人々に斗掻や火吹竹を贈ったそうです。
斗掻とは、枡でお米を量る際に、枡の表面に盛り上がったお米を平らにならすための棒のことで、火吹竹とは、お米を炊く際に火をおこすための道具です。
京田辺市近辺では現在でも米寿の風習が続いています。