昔は石を取り囲むように石柱の囲いが有ったが今は撤去...
#シノブズリとはいかなる染物だったのか?実際にやってみたいと思いました!また、かつては鏡石として使われた伝説から、やはり今の苔むす石とは違っていたんだと思わされました!
9月になったとはいえとても暑い日でした。
ご住職に冷たい麦茶をいただき、とても有難かったです。
また、いろいろと話しも聞かせていただきました。
歴史を感じさせる情緒豊かな所です。
紅葉🍁の時にまた来てみたいです。
昔は石を取り囲むように石柱の囲いが有ったが今は撤去されていて前よりいい感じですね!
11月9日に行って来ました。
紅葉が最高でした🍁
紅葉が綺麗で、拝観料無料とのことで初めて訪れてみました。
もみじが真っ赤でとても綺麗でした。
ただ高齢者には駐車場が少し遠く、受付の人には向こうに止めてください!って言われるし。
高齢者、障害者用の駐車場が近くにあるともっと気軽に行けるのになぁ〜って思いました。
奥の細道 第13の段 「安積山・信夫の里」奥の細道の旅で芭蕉が訪ねた石、”しのぶもぢずりいし”と読みます。
どうしてこのような名が付けられているかは諸説あるようです。
所見としては「偲ぶ捩擦り石」と充てるのが意味に近いように感じます。
事の所以は、嵯峨源氏の融がこちらに赴任した際、長者の娘”虎女”と恋に落ちます。
融は都に戻る事となりますが、虎女に便りさえ送りません。
虎女は”もぢずりいし”に青麦を擦りますと、融の面影が現れたといいます。
小倉百人一首にもあります、下記の融の歌は、虎女が可哀想で現代語訳できません。
芭蕉が訪れた当時は、石が半分ほど土に埋もれていてかつ、当時も別の柵に囲われていたようですが、現在は露出しています。
明治時代に掘り出されたとのことです。
手前は奥の細道の歌枕遍歴をしていますが、こちらで詠みました早苗とる 手もとや昔 しのぶ摺なにを示唆しているか分からない”降参”の句です。
信夫文知摺石は古今集 源融陸奥(みちのく)の忍ぶもぢずり誰ゆゑに乱れむと思う我ならなくに後拾遺 後法性寺関白君にかくおもひみだるとしらせばやこころの奥のしのぶもぢずりの歌枕です。
奥の細道では、村の子供が”いわれ”を説明します。
原典は「奥羽観蹟聞老志」で子供の話に無い部分は「往昔、好事者、麦葉石上磨則思所人影見」奥の細道の内容を補足説明(手前補足)しますと、「この石の上を麦の葉で磨きますと、思う人が現れるということで、それを聞いた人が、磨きに来るようになりました。
この人たちは里の麦を取り荒らしますので、村の農夫が山にあった石を谷に落としてしまいました。
このとき、石が反転してしまったため、(磨くべき)石の上は地面に埋もれています」上記重複となりますが、当時は半分土に埋もれ、柵まであったようですので、地元の農夫の憤懣(ふんまん)やるかたなかったようです。
逢いたい方がいらっしゃる場合はまず、石をひっくり返す必要がありますね。
そんなことがあるのでしょうか?(…さもあるべき事にや)こちらの句は早苗とる 手もとや昔 しのぶ摺です。
手前の訳はこうです。
昔は”しのぶもぢずりいし“に青麦を取られてしまいました。
<苗代から苗を取る様子を青麦を盗む様に重ねて>この句の原案は「五月乙女にしかた望んしのぶ摺」です。
ところで「しのぶ」の使い方ですが(英訳無視で恐縮です)信夫:地名しのぶ:石の名前、句の表現忍:訪ねた場所自分の所見では石の名に当てるのは「偲」が適切だと思いましたが、石がひっくり返ってしまいましたので、経時的に不適なのかもしれません。
原案も踏まえますと、愛しい人を想う女性の気持ちを詠んだ句にも読めますが、禅僧のいでたちで詠む映像が浮かんできません。
そう読みますと、最初の歌枕「室の八嶋」の名句を載せなかった理由が謎になります。
やはり、なにを示唆しているか分からない”降参”の句です。
(幕府は盤石でひっくり返すことはできない??反逆の人は召喚されない??”おくのたうゑうた”に関連??)次は坂東武士が大嫌いな判官殿絡みのお話ですね。
これから超える阿武隈川の渡しが”岡部”で少し心が和みました。
平常心で書かねば…。
余談ですが、判官殿といえば、中学の時の理科の先生を連想させます。
ほかの生徒には評判のいい方でしたが、手前は逆櫓の折の梶原殿と同じ印象を持っていました。
万有引力を語るとき、林檎の話で十分とお考えの方でしたが、高校以降に出会った恩師はきちんと月の話までしてくれました。
無料だし、雰囲気良い。
奥の細道に「明くれば、しのぶもぢ摺りの石を尋ねて、信夫の里に行く」とある。
この石は半ば土に埋もれてあったらしい。
名前 |
信夫文知摺石 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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古歌にも詠まれているこの大岩に 芭蕉は「早苗とる 手もとや昔 しのぶ摺」 と訪れた日は年末大寒波の余波あって 小雪のちらつく境内でした。