行きたい所に行けません。
国指定史跡 鳥海柵(とのみのさく)跡 / / .
案内が不十分なために、目の前に見えている景色と地図がなかなか一致せず、行きたい所に行けません。
見たいものが見えません。
頑張ってください。
駐車場の前に広がっている草地は、遺跡の北部の、沢跡などが埋め戻されている部分。
もっとも良く保存されている南の堀を見に行くためには、一旦門の外に出て、歩道を左に曲がり、東北道にぶつかるまで歩きます。
(ああ、そこにはちゃんと遺跡入口の看板が。
)その手前の舗装された道に入ってはいけません。
すべて民有地と思われます。
あとは道路脇の砂利道をひたすら歩くと、見事な堀と、安倍宗任について書かれた案内板にぶつかります。
ここでほぼ終点。
あとは左手に堀を見ながら、前方の(草木が刈ってあれば)見晴らしのよい(はずの)所まで進みます。
「順路」の矢印に従って道を選ぶと危険なので、畦道は避けて、広い道を選びましょう。
蓮池までは行かれます。
(遺跡とは関係のないもののようです。
)
冬季閉鎖になっててちゃんと見れなかったけど、穏やかな気持ちでいられそうな場所でした。
来春、再訪問して、また、ご報告したいと思います。
歴史好きには有名な鳥海柵ですが、一般のひとにはよく分からない遺跡かもしれません。
ちょっと下調べをしてから来跡された方が感動が出ると思います。
お堀跡がスゴい。
桜並木がとてもキレイですが、史跡としてはもうちょっと説明か何かあればいいんじゃないかなーとは思います。
国道脇ですぐにわかると思います。
安倍一族が作った柵の中で、唯一現存する痕跡。
大河ドラマの炎立つでは、安倍頼時(里見浩太朗)が亡くなった場所。
訪れたときちょうど耕作者の方がおられて、いつも草を刈ってくださっているとのこと。
地元の方は大切にして誇りに思っておられるのがよくわかりました。
高速が分断しています、田んぼですが切岸も残ってます。
安倍宗任について まさに発掘中であり、平泉との関係や胆沢城との関係性を フィールドワークにて 現地のようすが良くわかる。
文化財課の方か専門家による説明を聞きながらの 前九年合戦の歴史考証は 勉強になる。
案内板が欲しいなと思いました。
弥三郎がいない。
歴史を感じます。
安倍氏の本拠地として有名です。
高橋克彦氏の著書「炎立つ」を読んでから行くことをおススメします。
「鳥海柵跡」(とのみのさくあと)は、安倍氏の城柵(城)。
別名弥三郎館(やさぶろうたて)。
前九年の役で、永承6年(1051年)、安倍頼良(のちの頼時)は、頼時の従兄弟といわれる津軽の俘囚長安倍富忠が官軍に寝返り、富忠を説得しに自ら津軽へ向かうものの富忠勢の伏兵に遭い流れ矢に当たり、この柵に帰り死んでいる。
康平5年(1062年)9月11日、源氏・清原連合軍に攻められ落柵。
衣川関の陥落後、安倍氏はこの柵に拠るが、戦わずしてさらに北の厨川柵へ走り、最後の抗戦をした。
名前 |
国指定史跡 鳥海柵(とのみのさく)跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.4 |
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「とのみのさく」と読む。
11世紀の安倍氏の城柵跡で国指定史跡として広大な用地が公園化されている。
平地にあるが南の胆沢川が防御上重要な役割を担っている。
数ある安倍氏の城柵の中でも重要拠点だったという。
何度も発掘調査されているようだが、今後さらに重要な遺構が見つかるかもしれない。