お堀と石垣と門のみの城趾となります。
真田好きなら行くと良いですね!ゆっくり見学出来て良い。
2022年1月19日訪問。
長野駅から松代行きのバス(660円)で来れました。
数日前からコロナ感染症防止の為、真田館とかは閉館してましたが城跡は問題なく見学出来て100名城スタンプも押すことが出来ます。
周りを山々に囲まれた平場のお城跡で高妻山や戸隠山も見る事が出来ます。
近くには象山地下壕とかもあるので今度は自家用で来たいと思います。
長閑で良い所でした。
広い本丸の中、木々も綺麗に整備されています。
桜🌸の季節に来てみたい。
土塁に囲まれたいかにも本丸といった雰囲気を残した場所です。
平日は、ほとんど人出がなく静かに時を過ごせます。
そよ風が気持ちよく、天守台からの見晴らしもグット。
江戸からの風景を楽しめます。
平日午前中がおすすめです。
展望台っぽく櫓になってました。
百名城の一つです。
武田信玄公の軍師山本勘助が縄張りしたとされる城跡で、近くには川中島の合戦場や啄木鳥戦法で有名な妻女山等がありますので、そちらとセットで回ってみては…
城跡なので、勿論、本丸等の建物は残っていませんが、堀や門は残っています。
無料です。
ちょうど、紅葉シーズンに行ったので、城内にある、いちょうの木が見事な黄色できれいでした。
周辺も含めて、公園のようになっているので、散策するには、いい所だと思います。
車で行く場合、松代城北駐車場と言う駐車場があるのですが、ここからだと、300mくらい離れています。
それよりも、城の南側にある、殿町無料観光駐車場の方が近くて便利です。
城の太鼓門の正面です。
ちなみに、殿町無料観光駐車場からだと、すぐ近くに真田邸もあるので、時間があれば、そちらにも寄ってみてはどうでしょうか。
まぁ、真田邸は、入館料はかかりますが。
海津城とも呼ばれる松代藩十万石の城下を治めた真田氏の城跡。
元々は武田信玄が築いた城である。
門をくぐって本丸跡に入ると、想っていた以上に広くて、ちょっと驚きました。
綺麗に整備されています。
真田宝物館等の施設も近くに集まっていて、徒歩で回れます。
お堀と石垣と門のみの城趾となります。
周辺の真田邸や旧家、象山神社など一体を散策するにのは楽しいです。
松代城(まつしろじょう)は、信濃国埴科郡 海津(現・長野県長野市松代町松代)にあった日本の城跡である。
元々は海津城(かいづじょう)と呼ばれていたが貝津城とも言われた。
また茅津城(かやつじょう)とも言われ茅の生い茂った地であったと伝える説もある。
形式は輪郭式平城。
国の史跡に指定されている。
なお、越後国頚城郡にある松代城の読みは、「まつだい」である。
正確な築城時期は不明。
戦国期には甲斐国の武田晴信(信玄)が信濃侵攻を開始し、北信豪族を庇護した越後国の長尾景虎(上杉謙信)との北信・川中島地域をめぐる川中島の戦いへと発展する。
千曲川河畔の海津城は川中島地域の拠点城郭として整備され、『甲陽軍鑑』に拠れば武田氏は北信国衆である清野氏の館を接収し、武田家足軽大将の山本勘助に命じて築城され、『軍鑑』に拠れば本城には小山田虎満(備中守)、二曲輪に市川等長・原与惣左衛門が配置されたという。
文書上においては海津城の築城は1559年(永禄2年)から開始され(『信濃史料』12巻 - 250号)、翌年には完成している(『軍鑑』)。
築城は屋代氏、香坂氏ら川中島四郡(更級郡、埴科郡、高井郡、水内郡)の国衆が担ったという。
海津城は東条城・尼飾城とともに上杉氏への最前線に位置する。
永禄4年(1561年)9月に上杉氏が川中島へ侵攻すると、海津城の城代である武田家臣・春日虎綱(高坂昌信)は海津城において篭城し信玄本隊の到着を待ち、9月10日には八幡原において両軍の決戦が行われたという(第四次川中島の戦い)。
また海津城は川中島四郡における領国支配・国衆支配の拠点としても機能し、城代である春日虎綱は郡代的権限を持っていたと考えられている。
天正10年(1582年)3月の武田氏滅亡後には、武田遺領のうち信濃川中島四郡を支配した織田氏家臣の森長可の居城となる。
森長可は武田遺臣の子息や近隣の村から人質を集めたが彼らを住まわせたのがこの海津城、あるいは海津城下であったという。
同年6月に本能寺の変が起こると森長可は信濃を放棄して退却する事を決断し、海津城の人質を盾にして美濃へと退却し海津城も無人のまま捨て置かれた。
以後は空白地帯となった信濃へと侵入した上杉氏の支配となったが、1598年(慶長3年)に上杉景勝が会津に転出の後は豊臣秀吉の蔵入地となり、城主には田丸直昌が任じられた。
甲州流築城術の特徴を強く持ち、武田氏築城の代表的な城の一つである。
千曲川を背後に控え、本曲輪を三方から二の曲輪が囲み、甲州流築城術の特徴である丸馬出及び三日月堀を有す。
平城としては駿河江尻城が、平山城としては信濃岡城が海津城(松代城)と構造的に非常に似通っている。
本丸 内堀より中は総石垣で囲われ、1770年(明和7年)に花の丸御殿が造られるまで、藩の政庁及び藩主の住宅である本丸御殿が置かれていた。
櫓門は3カ所、北不明門、東不明門、太鼓門。
櫓はいずれも二重で4カ所にあった。
本丸中央に御殿があり、四隅に櫓があったようです。
表は南側で楼門と太鼓門で桝形をつくっています。
太鼓門前橋を渡った先に馬出が設けられています。
天守閣が有ればさぞかし立派な城郭なのであろうと思う…復元しないかなぁ…勿体ない。
松代城本丸跡でございます本丸の縄張りはよく残っていますが、広大だったお城の外郭までは残念ながら、あまり残っていません。
内堀や土塁等、当時の規模を感じさせる遺構が数多く残されている。
本丸御殿は、今はない。
1717年に焼失したとのこと。
思った以上に、広大なため、どれだけ大きかったんだろうと想像してします。
本丸跡地で桜がたくさん咲いていた。
100名城スタンプは真田邸にあります。
名前 |
松代城 本丸跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
真田家紹介の施設があり、城の石垣も堪能できました。