何気ない銀杏の木にこんな歴史があったとは、、。
水戸市 いちょう坂にある 大銀杏新しい 新芽が出てきました✨太平洋戦争時水戸市内は(アメリカ軍の焼夷弾よる大規模空襲を受けて)焼け野原… 市内がほとんど焦土と化し…その中 今も元気に 過去を忘れたかの様に素敵な新芽(新緑)ですね✨いちようの木の樹皮も厚く害虫 寒さや暑さにも耐え 樹皮はボロボロですが…頑張って生きていますね✨コロナ禍も落ち着きをみせ大銀杏の様に元気に頑張りたくなるパワーを頂戴しましたです✨
何気ない銀杏の木にこんな歴史があったとは、、。
水戸駅から常陽藝文センターを目指して歩く道すがら出会った大銀杏。
案内によると1945年8月2日未明の水戸空襲の戦災で焼かれながらも生き延びた大樹。
駅前の便の良い場所にも関わらず、こうした樹木を守り、手間暇をかけて伝え続ける水戸の心意気に感動します。
小学生の頃(かれこれ40年以上前)三の丸小に通っていました。
千波湖の向こうに住んでいたから駅前までバスに乗り、この銀杏の樹を目指し坂を上がって行きました。
久しぶりに水戸に来て、この銀杏が元気良さそうに葉を繁らせているのを眺めると、とても感慨深いものがあります。
1945年8月2日B29爆撃機が水戸の街を襲い、300人以上の方々が亡くなったと言われています。
😭暫くすると真っ黒に焦げたこの木から新しい芽が生まれ、戦後復興を目指す人々に希望を与えてくれた……。
そんな素晴らしい木が道路沿いにひっそりとあります。
もしも玉音放送があと2週間早く流れていれば水戸の空爆は無かったかもしれない…。
うーん、やはり平和が一番ですね。
以下、説明板より…、昭和20年8月2日、午前0時31分から1時間45分続いた水戸空襲では水戸市街のほとんどが焦土と化し、このイチョウも焼夷弾を浴び黒焦げになり誰もが枯れてしまったと思ったそうです。
しかし戦後まもなくしてこのイチョウから新しい芽が生えてきました。
駅前にあって目立つ大きなイチョウの木です。
水戸駅の有名なランドマークです!
水戸駅北口のいちょう坂の下にあります。
これまで意識してきませんでしたが立派な銀杏だったんですね。
水戸空襲で大火傷を負ったけど復活した生命力の逞しい銀杏だったとは知りませんでした。
単なる街路樹だと思ってました。
まだこれからですね😄
ひさびさに大銀杏、見ました。
立派、りっぱ!
銀杏坂の由来となる銀杏の木デス😏
有行人天橋、紅綠燈,還有行人隧道,去邊都咁方便。
昭和20年8月2日の大空襲で水戸が焼け野原になったとき、この銀杏の木も焼夷弾を浴びて黒焦げになりました。
誰もが枯れたと思ったそうです。
しかし、やがて新しい芽が生え、多くの市民に感動を与えました。
水戸の戦後復興のシンボルであり、平和の象徴でもありました。
HP参照。
素晴らしい。
名前 |
大銀杏 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
4.2 |
空襲で生き残った銀杏という。
水戸城は台地の上にあるので、あちこち坂があり、東京の台地と谷の構造を思わせる。