聖天山と一緒に祭られていた神社です。
大我井神社(おおがいじんじゃ) / / / .
明治政府が出した神仏分離令まで、聖天山と一緒に祭られていた神社です。
ご祭神木花之佐久夜毘売、自分が不貞を犯していない事を夫に証明するために、自ら産屋に火をつけて、その中で子供を産んだ神さまです。
という訳で、この神社では夏に「火祭り」が行われます。
昔の火起こしの器具で宮司が火を起こし、大きな薪を燃やし、地元の女の子たちが巫女になり、花火も打ち上げられる華やかなお祭りです。
燃えのこりの薪は、厄除けのお守りになるとのことで、持ち帰りできます。
2021年9月 妻沼聖天を訪れた際に立ち寄りました。
境内はきれいに管理され、社も立派で地域に愛されてる神社という印象を受けました。
年中登れる富士山があるので、妻沼聖天を訪れた際は立ち寄ってもいいかもしれません。
江戸期までは聖天宮と合祀されていたが維新と共に分離して二柱神社としたが後に元々の地名大我井の名前を付けた神社となった元村社、聖天宮合祀前は式内論社の白髪神社であったとされている大我井は古い利根川の蛇行後に突き出る形の自然堤防で微高地になっている妻沼(女沼)に対して西に男沼の地名が残り古代に生じた2つの大きな沼が伊弉諾、伊弉冉の二柱に対応する様だ参道は聖天宮の参道から分かれる形で石鳥居があり中程に中門を経て社殿に至る参道がある参道入口横に由緒を記した看板がある駐車場は参道左手前にある鳥居をくぐると左右に祠、駒形神社とのこと左手には社務所、社殿は日吉造りの拝殿と奥に屋根付き板塀に囲まれた神明式の本殿が建つ社殿左奥に富士塚があり浅間神社があるその他西側のブロック塀の際に山系の石碑が並んでいる又、西側にも出入口があり鳥居が設けられている。
駐車場あり誰も居ないせいか静かでした。
私のご先祖が山岳信仰扶桑教だったようで、、大変興味津々な神社です。
平日ですと30分いましたが誰も参拝する人に出逢いませんでした。
お隣の神社はそこそこ参拝する方はいるのですが。
静かで自分はこちらの方が好みです。
聖天様より徒歩で3分・神社に到着、鉄砲百合が盛りです。
鳥居に名入れ提灯を高々と吊し150㍍先の本殿まで紅白の提灯が連なる、参道を挟み社務所の前に模擬店や演芸舞台などを設置~中門前を過ぎ摂社、浅間神社の富士塚は、円形ー高さ10㍍を誇り〔火祭り〕の舞台に相応しい富士の山💮山を形どる仕掛け花火の確認作業が忙しい~富士を背平に15㍍ほどの幣付きの柱を支えるように、角材を組み上げた2本の大松明、雲行き怪しい風が大幣を揺らす~禰宜に付き添われた巫女達〔うら若き小学生〕5名が松明に点火の最終打ち合わせ…💮神事・19時20分本殿に措いて、古代より伝授されている、〔弓 錐〕発火法で種火を熾し~神域の照明が消灯され~御神火は厳かに1歩1歩~山頂に向け歩みだす! 山頂に一筋の灯りが点灯すると観客からどよめきが!💮 💮富士塚に祝詞奏上・ 笙の笛に伴い雅楽演奏!!仕掛け花火を点火~一瞬にして勇壮なる富士の姿は 将にシルエットロマンスである。
御神火を託されたうら若き巫女は厳かに祭壇を1周半して2本の松明に火を濯ぐ! 火音を伴いかけ昇る火柱!燃え盛る🔥🔥火炎が真っ赤な富士を映しだす!どよめきの妻沼に大輪の花火🎆が炸裂!毎年 8月17日夜の正夢~
延喜式の白髪神社、または楡山神社の論社。
『大日本史』では、「白髪社、今妻沼村に在り、白髪明神と称す。
大我井森に在り、後今の地に遷る」とある。
大我井の森とは、当社鎮座地南方の微高地にある聖天山歓喜院の境内一帯を指すことから論社とされている。
現在は小さいながらも重厚な作りの社殿がひっそりと建っている。
飾り気のない神社。
そう見えたのは聖天山、ひいては日光東照宮のイメージとの対比のせいだけではない。
熊谷市妻沼〔大我井神社〕に芭蕉句碑が建っている。
春の夜は桜に明てしまひけり はせを 大正7年(1918)建立の碑。
また、蕪村句碑もあって、 菜の花や月は東に日は西に 蕪村。
もう少し、説明が欲しい処ですが、なかなか由緒のある神社です。
武蔵國播羅郡の式内社、白髪神社の論社。
名前 |
大我井神社(おおがいじんじゃ) |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
048-588-4297 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.7 |
周辺のオススメ
![](./loading.gif)
延喜式内社に比定される歴史ある神社さん。
見どころは多いのですが、静かで落ち着いた境内でした。