参道の桜が、キレイでした。
地元の子供達の獅子舞が元気で楽しい浦安の舞も綺麗です。
長年神社を管理してきた「東使さん」の家は、元々藤原家で坂上田村麻呂の東征の時に京から用土に来たそうです。
用土って歴史ある土地なんですね。
そういえば群馬県榛名神社の拝殿の石段に「用土村」と大きく書かれていました。
ここの旧用土村、現寄居町大字用土ですが、坂上田村麻呂が「用土の土を使って土偶を作り戦勝祈願した」ことから、「土を用いた⇒用土」という言い伝えがあります。
「淀村⇒用土村」という説もありますが、この周囲には田村麻呂の伝説も結構残っており、私は田村麻呂説が好きです。
用土の村の諏訪神社です。
境内隅にブランコと滑り台がありました。
旧村社。
御祭神:建御名方命。
創建:年代不詳。
資料によると、社伝によれば、坂上田村麻呂東征の折、当地からも多数の援軍を出しているそうです。
東征を終えて京に戻る際、この地から参加した郎党は信州諏訪の地に土着し、その後代を重ねて子孫が用土に戻る際、諏訪大社を勧請したとされます。
応和三年(963年)のことです。
当社は、応和年間武州用土諏訪山に建御名方神を祀る社として創建された。
以来地域の守護神として広く崇敬を集めてきたが、慶長年間(1596年-)神社を護持する氏子崇敬者により現在地に遷座された。
境内に接しているのはかつての鎌倉街道上道と呼ばれる道です。
とあります。
この神社のある用土の地も、藤田郷であり(近くに用土城跡)、武蔵七党の猪股党の支族・藤田氏の領地であり、かつての鎌倉幕府の御家人の鎮守社として、鎌倉街道上道に隣接して鎮座していることが窺えます。
創建については、同じく藤田郷の小前田にある、諏訪神社のところでも伝承がありましたが、当地からの坂上田村麻呂東征援軍の末裔が、東征先から諏訪神をもたらしたのが始まりらしく、武州用土諏訪山に創建とあるように、この辺りに諏訪山を祀った経緯があるそうです。
参道の桜が、キレイでした。
古い村の人格。
(原文)旧村社格。
名前 |
諏訪神社(用土) |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
3.6 |
R175小前田児玉線を児玉方面へ走っていると満開の桜が綺麗だったので立ち寄ってみました。