しだれ桜が満開になると素晴らしい。
小倉城趾の帰りにありました。
桜が咲いていたら見事でしょう。
嵐山渓谷を見てその足で神社へ行きました。
ひっそりとしていました。
傾斜のあり階段があります。
苔があるのでくだりは注意。
まだ比較的若いと思われるしだれ桜だが、実に美しい!
3月29日に行きました。
しだれ桜はもう終わりかなぁって感じでした。
しだれ桜が満開になると素晴らしい。
今年ももう少しで見頃になりそう。
のどかな田舎の神社。
今日とおったらシダレザクラが満開でした。
私は運転中にこの趣のある神社を見つけ、それから近くの公共駐車場からその地域にハイキングしました。
しかし、実際には美しい古い鳥居や神社の門の前に数台の車を駐車することができます。
神社と牧歌的な歩道の前には、いくつかの素敵な石細工があります。
それはみんなの好みではないかもしれませんが、私は鳥居を着た天候に惹かれ、それだけでその地域の自然の風景のためのハイキングでした。
(原文)I spotted this quaint shrine while driving and then hiked to the area from a nearby public parking lot. But there is actually parking for a couple of cars in front of the beautiful old Torii or shrine gate. There is some lovely stone work in front of the shrine and an idyllic walkway and steps up to the shrine. It mightn't be to everyone's liking, but I was drawn to the weather worn torii and it was the hike for that alone and for the natural landscape of the area.
鳥居前に車を留めるスペース有り。
名前 |
日枝神社(田黒) |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.9 |
田黒日枝神社(たぐろひえじんじゃ)主祭神 大山咋命 伊弉冉命合祀神 別雷命 速玉男命 事解男命由緒田黒村 熊野社 慶安二年社領として 五石六斗の御朱印を附せらる別當大福寺 天台宗 下青鳥村浄光寺の末 延命山地蔵院と號す 開山の僧を賢仙と云 示寂の年代を失ふ 本尊地蔵を安ず地蔵堂山王社 村の鎮守なり 大福寺持(「新編武蔵風土記稿」参照)当地は、槻川が大きく蛇行し、半島状に細長く突き出た丘陵を取り巻くように流れています。
東側の段丘に沿って集落が形成され、その中央部に鎮座するのが当神社です。
丘陵上の小倉城跡は、戦国期の山城で、遠山右衛門太夫藤原光景の居城と伝わっています。
遠山氏は後北条氏に仕え、小倉城の初代直親は、兄の康景が永禄七年(1564)に討死したため跡を継いで江戸城主となり、小倉城を子の光景に譲りました。
しかし、豊臣秀吉の小田原城攻略の折、松山城と共に落城しました。
「風土記稿」田黒村の項に「光景は隣村遠山村の遠山寺の開基檀越にして、天正十五年(1578)五月卒せし人なれば、爰に住せしも元亀・天正の頃なるベし」と記されています。
社伝によれば、当神社は光景の守護神として、元亀元年(1570)に近江国の日吉山王大権現の分霊を勧請したとされています。
「風土記稿」には「山王社村の鎮守なり 大福寺持」とあり、化政期(1804~1830)には村鎮守となっていました。
別当の大福寺は城の南裾にある天台宗の寺院で、下青鳥村浄光寺の末寺でした。
開山の賢仙は、示寂の年代を伝えていないため、草創年代は不明です。
明治初年に現社号に改めました。
大正三年(1914)四月に雷電神社を合祀、次いで翌四年(1915)一月には城跡に鎮座していた熊野神社を合祀しました。
その際、当神社の本殿が老朽化していたので、熊野社の社殿を移築しました。
(「埼玉の神社」参照)鳥居傍に猿田彦石碑・庚申塔があります。
鳥居の後方の参道途中に「日枝神社のしだれ桜」があります。