比企城館群の一つで標高218メートルの山に築かれた...
堀切や横堀、土塁に竪堀を見やすく整備されている。
主郭にわずかだが石積を確認できた。
案内板も多く見学しやすい山城。
小川町駅からイーグルバスでパトリアおがわ(福祉センター)バス停下車。
案内板にしたがい、駐車場を越えて県道を渡ると登城口に至る。
沢沿いの道を暫く進みほぼ直登して尾根の鞍部に着けばここからが城エリアとなる(パトリアおがわから20分から30分程度)。
城は案内板によると、北から本郭、ニの郭、西の郭が連なり、その周囲を複数の腰郭、竪堀、横堀が巡っている。
とくに、南東部の横堀・土塁や竪堀は見応えがある。
また、この一帯を過ぎたあたりに『囮小口』という一見主郭への近道のようなところもあり面白い。
唯一、石積み(石垣?)も見られる。
西の郭は、城の南西部の緩やかな傾斜の尾根を守る要であり、先端の高台は物見台だったのかもしれない。
本郭へは西の郭との間の堀切を越えて西側から『小口』(三の郭?)、ニの郭を経て向かう。
ニの郭、本郭は小規模だ。
大人数が常駐できる規模では無い。
ただし、本郭からは青山城や小川町市街地も見渡せ、ここが見張り場所として適地であることが分かる。
本来の登城口は西側の根古屋(字名)方面と緩やかな南西部の尾根伝いだったのでは無いだろうか?コンパクトだが、愛着が湧くお城だ。
※イーグルバスは減便されているので、バスを使う場合は事前に確認した方が良い。
腰越城は、松山城主上田氏の家臣の山田伊賀守直定の居城とされています。
上田氏は扇谷上杉氏の重臣として、長尾景春の乱などで活躍し、後北条氏の勢力が拡大した際に配下となり松山城主としていて地位を固め、豊臣秀吉小田原征伐の際に前田利家に攻められ落城するまでの間は、安定した領地支配を行っていたそうです。
腰越城は、松山城の落城の際に一緒に廃城になったといわれています。
腰越城には12月下旬に訪問、パトリアおがわの駐車場が無料で利用できます。
駐車場にある案内板通りに民家の間を抜けると登城口があります。
本廓をはじめ二の廓や西の廓、竪堀や横堀、小口などの遺構が状態よく残されており、土の城の技巧を楽しめる山城でした。
埼玉県指定史跡、比企城館群の一つで標高218メートルの山に築かれた山城です。
本城となる武州松山城に繋がる支城ネットワークの一つで越後上杉氏の侵攻に備えた北条方の上田氏の城です。
堀や郭の保存状態は良好で当時の縄張が良く解かる史跡でした。
北側の山から南に張り出した尾根の頂に、三方を大きく蛇行する槻川に囲まれた天然の要害に築かれた戦国時代の山城。
堀切や竪堀が良く残っており、途中、私有地のため立入禁止部分や木階段の不良箇所などあって全てを回ることは出来ないが、矢印の案内を進めば、ほとんどの遺構を見ることができる。
主郭は山頂にあり、南北に長く、西側に土塁、北側には切岸、二つの堀切が走る。
主郭は南に虎口、囮虎口、石垣らしきものも残る。
帯曲輪を経て二郭へ通じ、さらにその南方向へ走る堀切を経て三郭に至る部分まで行くことができる。
小川町駅からバスで12分ぐらいでしょうか。
パトリアおがわの駐車場入口に案内板があるので、案内板の通りに行けば腰越城跡入口に辿り着きます。
最初は、なだらかですが直ぐに急な登りになります。
10分ぐらい登ると城跡の案内板が出てくるので、地図を写真に撮りましょう。
途中道が寸断されルートがなくなっているので、地図の赤いルートを頼りに散策すると良いです。
本曲輪に向かうまでに竪堀、堀切、土塁、小口、曲輪を見ることが出来ます。
夏場は人が、余り来ない為か蜘蛛の巣が結構凄いです。
埼玉県小川町に残る中世山城。
コンパクトですが随所に技巧的な縄張りが残る城好きにはおすすめの場所です。
駐車場はパトリア小川を利用すべきなのですが、朝早すぎて駐車場が空いてなく別の場所で止めました、すみません。
県道沿いにある登城口から山に入り10分ほど登ると城域に入ります。
途中で大きな鹿が2頭いましてびっくりしました。
登り切るとまずは堀切、そして腰越城の本丸といえる本郭の切岸が目の前に見えますがすぐには侵入できません。
本郭を右手に見ながら水平移動を余儀なくされます。
まずここで側面からの攻撃に晒されるでしょう。
水平移動といっても起伏や竪堀などがありそう簡単に移動はできません。
しばらく進むと竪堀からそのまま枡形状の地形に進む道があり本郭に侵入できます。
ただこの道は木道が腐っていて通行止めです。
実際の戦闘でもこの通路は木戸を締め切るなどしていたんじゃないかと思いますね。
さらに水平移動を続け土塁に狭められた横堀などを抜けると少し開けた場所から場内に侵入できそうな通路が見えます。
囮小口と呼ばれる極めて狭い枡形状の行き止まり地形に誘い込まれるためここでも狙い撃ちされますね。
ちなみに囮小口の入り口には石積み遺構らしきものも残されています。
さらに進むと腰越城最大の堀切があり、その先には西の郭まで達します。
この先は断崖絶壁でこれ以上は進めません。
踵を返し本郭方面に向かいます。
本郭はこの城最高部にあたり小川盆地やその先の山々が一望できる位置です。
腰越城は松山城の支城とされており、狼煙などで他の支城と連絡を取り合っていたんでしょうね。
コンパクトではありますが、なかなか本郭に到達できない巧みな縄張りなど見どころはたくさんあるおすすめのお城です。
石尊山からの下山途中に立ち寄りました。
左側の階段から回り込むように登りましたが、本丸に続く階段が崩壊していて通行止めの為、その先を少し下り城跡の裏手から登り返しました。
地図アプリでは3分になっているがもう少し時間は掛かった。
パトリアに車を止め登城しました。
縄張りはいろいろ見所があります。
本郭は下から見えても、なかなかたどり着くことができないようになっています。
竪堀も見ごたえがあります。
本郭からは見晴らしがいいです。
パトリアおがわの🅿️の案内板に従い道を渡ると登山口の看板が🈶古民家の脇を抜けて登山道へ🚶序盤は広く緩斜面、中盤(分岐)から階段u0026急勾配、山頂付近は落ち葉と(路肩崩落で)分かりにくい迂回路をぐるっと大回り、結局登山口から山頂までは20~25分ほど。
山頂には石碑と案内図があり、木立の間から一応麓の町を見渡せる程度には拓けている。
小倉城跡~花園城跡~金尾山城を巡りの帰路で時間があるので追加で立ち寄り🚏何れも正味200m前後でも1日で4ヶ所も登ると流石に足にきた👣
小川町の南西にある城。
北側の尾根を通れば簡単に辿り着けるため、北が弱点になります。
そのため本郭に着くには西側の虎口まで時計回りに迂回させる。
東と南の緩い斜面は竪堀で守り、西側は急斜面が守る城。
見所は下から見ると上まで登れそうだが、進むと行き止まりの囮虎口。
水の補給が出来ないので長期戦は考えていない城ですが、簡単には落させない気概が感じられます。
パトリアおがわの駐車場から歩いて15分くらい階段が多くてキツイですね😅
結構登るのになれない人にはキツいと思います。
孫と登った時はあっという間に城跡までまるで走るように登ってました。
若さが羨ましかった、
夏の登城となりましたが、登城口からは木々に陽射しが遮られているため涼しく苦も無く登ることができました。
夏なのに藪化も少なく、整備されているので登りやすい。
ただ、城域内は藪蚊が多いので虫よけは必須です。
山城にて道は険しいが登山道には紫陽花が植えられており梅雨時の見所のひとつ。
県道11号線から民家の間の細い道を行くと木の柵と腰越城入口の看板が見えてくる。
配置図にない脇道もあり足を取られぬよう注意。
城跡からの景観はさほど良くはありません。
樹木の成長により視野が狭くなっています。
よくわかりません。
本丸まで縄張りにだまされだまされなかなかたどり着けず。
すごく技巧的なお城でした。
本丸からの眺めは絶景です。
偶然いらっしゃった地元近くのかたにいろいろお教えいただきました。
そうした旅もの非常に楽しかったです。
駐車場は山麓のパトリア小川が利用可能です。
うっそうとしたところをだいぶ上っていきます。
バトリア小川の駐車場を利用。
北側の県道を渡ったところに腰越城への登山口があります。
そこから200mひたすら登山道を登ると北端の二重の堀切に出ますが、ここより南側が城域となります。
城内には囮小口や一部に石積なとの遺構が良く残っているうえに、案内板や一部には木道も整備されていて容易に見学できます。
また本郭からの眺めはたいへん良く、東は小川町中心部が、西は東秩父村の安戸地区が一望できます。
散策にはやはり冬場がおすすめ。
ただし、落葉が多く滑りやすいので注意してください。
遺構の残りも良く、整備方法もおもしろい。
眺望もよい。
城跡まで急な登城路が続きますが主郭からの眺めは良いです。
途中竪堀や石積、堀切など見所が多い。
名前 |
腰越城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
2018/9/24北条氏時代松山城の支城の一つであり、松山城の城主であった上田氏の家臣山田氏の城であった。
堀切と竪堀が組み合わされた城内はハイキングコースとして綺麗に整備されており、とても散策しやすい。