神社拝殿の左手に大きな石碑があります。
大きな森があり日陰は超涼しいです。
朝早く参拝しました。
第一印象は綺麗に整備されている神社だと思います。
鳥居を抜け参道の左手に手水舎があります。
結構コロナを気にして止めているのですが、きっちり運用されてました。
左手に神楽社、右手に社務所を従え正面に拝殿があります。
こちらも綺麗に整備されてました。
けいはんな木津地域も50年近く前に都市計画に含まれて岡田神社を含む三社が移転や規模縮小になった様です。
この田中神社も含まれていたかも知れませ。
毎日通っています。
所有の笛の練習をよくさせていただいていて、神社の風景のスケッチや神社の詳細や景色のメモをしています。
将来ここの神主になるのが夢です。
迷惑になっていないかが気がかりです、一度神主様とお話をしてみたいと思っています。
神社での無礼な行動や良き行動を勉強したりくくり様の好む容姿に少しでも近づけるよう心がけています。
本当に趣が深い神社で本殿の裏側には川が流れています。
木が沢山生い茂っているので鳥居から本殿の方を見た際木漏れ日が散らばっている神気や金箔のようで思わず立ち止まってしまいます。
鶯の鳴き声が雅やかかつ力強い音色で私が神社に足を踏み入れるといつも一鳴きしてくれます。
境内から見上げる空はいつ何時もどんな天気でもどんな季節でも形や見える景色がきらびやかで気に入っています。
入ると左の方にある森中へのような道は入れば季節が感じられ、去年の夏にはカブトムシ、クワガタもいました。
社務所は年月を感じさせる神木のような木の色。
そして不思議と神社にすっと収まるような優しき形、空間。
縁側のような場所で温かいお茶を飲んでいるお婆様、お爺様の姿が容易に想像できました。
木津三社との事で訪問。
旧名白山権現。
祭神は菊理姫命です。
近世には田中白山宮といい、元慶2(878)年の勧請といわれています。
10月には100名前後の担ぎ手により神輿祭がおこなわれます。
文化3年(1806)以降に、木津本郷での祭りを木津祭りと称すようになったといわれています。
幕末のころには7基あったという神輿は現在は5基で、御靈神社、岡田国神社、田中神社に宮入り(拝殿廻り)します。
名前 |
田中神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
田中神社というだけあって、神社拝殿の左手に大きな石碑があります。
敬農碑というもので、農業を敬えという意味でしょうか。
どこにでもありそうですが、意外と他に見かけないものです。
裏側を見ると「皇紀二千六百年吾農事組合等期協心戮力増産食糧以翼賛大東亞建設之洪業勒石表其心云 昭和十五年九月一日 木津町長 飯田三次 撰并書」…第二次世界大戦の時期のものですね。