阪神淡路大震災の爪痕が残されています。
神戸港震災メモリアルパーク / / / .
阪神大震災を忘れない為に設けたエリア。
今回の旅行で訪れて良かったです。
災害があった事を忘れない為にも、このような場所があるのは意味があると思います。
阪神大震災からもう28年経つのでしょうか。
苦難を乗り越え、復興して今は夜景が魅力な立派な街🏢🏬🗼✨になりました。
これを教訓として、防災には揃えています。
地震が多い日本において、都会で発生した震災の怖さを知ってもらうため、後世に残しておくべきスポットだと思います。
メリケンパークの一角に(隣接?)、モニュメントと幾つかの写真や説明書き、そして震災当時のまま残した小さな区画で構成された神戸港震災メモリアルパークです。
震災を体験したものからすると十分思い出されますが、そうでない人からすると少し触れる場になるのかと。
神戸メリケンパーク内の一画にある阪神大震災メモリアルパーク。
展示数は多くはありませんが、当時の被災状況や復興までの道のりなどを学べました。
被災した当時の状況をそのまま残している場所があり、色々考えさせられました。
沢山の方の犠牲や苦労、努力があって今の神戸はあるんだなと。
阪神淡路大震災により被災したメリケン波止場の一部(岸壁60m)をそのままの状態で保存し、見学できるように整備された公園である。
神戸港の被災の状況、復旧の過程などを記録した模型や映像、写真パネルも展示されている。
阪神淡路大震災の数日後、交通機関が全て不通のなか、西宮の今津港からこのメリケン波止場へ船が出ました。
会社の片付けを済ませてメリケンパークへ向かう途中、南京町で屋台が出ていたので、帰りがけに寄っていきました。
震災後の初めての温かい食事に涙し、中国人のバイタリティーに感心しました。
船で一緒に帰った友人は文化住宅の二階に住んでいて、一階の家主さんは下敷きになり亡くなりました。
彼は数か月 靴を履いて寝ていたそうです。
神戸震災メモリアルパークに来るたびに思い出します。
船の写真は今津港です。
1995年1月17日午前5時46分最大震度7の地震が神戸を襲いました。
私も当時小学生で、住んでいたところも震度4だっと記憶しております。
未曾有の大災害からもう30年近くが経ちます。
多くの人の尽力で復興を果たしましたが、沢山の人の命が奪われたことを忘れてはいけない。
歪んだアスファルト、斜めになった街灯など、当時の状況を知ることのできる貴重な場所です。
他にも被災当時の写真があったりと、当時を知らない若者や子供たちにも是非見ていただきたいと思います。
阪神淡路大震災を忘れないために震災後をそのまま保存しています。
かなり時間が経ちましたが、神戸港震災メモリアルパークを見る度に震災を思い出します。
私は大阪ですが相当揺れたのを思い出します。
これからも震災を忘れないために残して欲しいですね。
阪神淡路大震災の際に陥没した埠頭をそのまま残し、当時の写真などが一緒に展示してあります。
神戸市の小中学校では震災教育がおこなわれていましたが、震災を経験していない人にもぜひ一度見て、災害対策の重要性などを振り返るきっかけにしてもらいたい施設です。
天気が良くてめっちゃ気持ちエエ🎵
阪神淡路大震災を思い出します。
家に飲み水の備蓄をしましょう!2、3日分の飲み水と、保存が効く食べ物があれば耐えしのげます。
自分の身は自分で守るが基本です。
あの日は大阪市内で地震に遭いました。
走馬灯の様にあの揺れと衝撃を思い出してしまいました。
県外から出張でこちらにきました。
Googleマップで色々検索していたらこちら発見して訪れました。
地元も災害にあいました。
災害の歴史は伝えていかないといけないですね。
よくあれほどの大災害から復興したものだ!港町神戸と呼ばれる、神戸の港が壊滅。
ビルも高速も壊滅。
無くした命も多いけど、それを繋いで、本当によく復興したと思う。
忘れてはいけない。
ルミナリエが無くても。
遺構。
穏やかな初頭のよく晴れた日でした。
専門家がここはもともと活断層があって ってあとに言うのやめろ。
震災の爪痕が残されており、家も近い事から散歩に行きます。
只いつまでも震災の爪痕は、昔を思い出し辛いですね。
メリケンパークに向かう途中にあるメモリアルパーク。
阪神淡路大震災によって崩れた神戸港の一部が当時を出来るだけ保持して残されています。
僕はまだ生まれてはいなかったのですが、阪神淡路大震災の被害の大きさが目に見えてわかりました。
神戸を訪れた際に1度は見ておいて損はないと思います。
広い広場から海が見える。
カワサキ重工のミュージアムがあるオリエンタルホテルや客船が見えて異国情緒がある。
神戸がこんなにも早く復興できたのは国の支援を当てにせず地元民達が手を取り合い助け合ったからなんですよ!自分達でなんとかしようとする気持ちが大切ですね先代の方々を見習いましょう!
震災の現状を今に伝える為に崩れた港の一角をそのままにしてますが、藻とかが生えてただの磯場になっている印象です。
他、広場とかメリケンパークとか神戸らしい良い公園です。
公園としての趣旨をわからず訪問。
オサレでシンプルって印象でした。
ただ、そこには震災をへた歴史や経験があっての公園なんだと、後から気づかされました。
町の歴史を知らずにいくのもまちあるきですが、知った上でどう思うのかというのもまちあるきの醍醐味なんですね。
ブラタ◎リなどを見てすごいなと思うことを追体験?できる意味で、自分を成長させれくれるよき場所でした(これは個人的な思い入れですね。
参考にならずすいません)。
当時は広島県内に居ましたが、目が覚めるのとほぼ同時に激しい揺れに襲われたのを覚えています全国各地で様々な災害が発生していますが、ここもそういった記憶を風化させない為に多くの人に見てもらいたい場所だと思います。
あれから随分経ったなぁ〜あの日は成人式の2日後…関東では朝から速報が流れてたけどあれ程ひどい状態だとは…昼近くまで気が付かず…皆普通に仕事してたなぁ( ゚д゚)ポカーン
阪神淡路大震災の爪痕が残されています。
周りは綺麗になっていますが、震災を忘れないためにも必要な場所ですね。
神戸の街は完全に阪神大震災から復興を遂げる中ここだけは震災が起きた1995年1月17日午前5時46分で時計が止まっています。
そんな震災を風化させていけないという思いで作られた公園です。
阪神淡路大震災の当時の悲惨な状況が分かる場所です。
テレビで色々見ましたが、実際にそれを見ると、震災の恐ろしさがじわじわ伝わってきます。
あの時のことを忘れない。
前日、骨折して神戸のとある病院で入院することになっていたが、父親が入院を取り消して地元の医者に診てもらったことによって自分の命が助かったかもしれない。
その病院では死者もでていました。
忘れたいけど、忘れたくもない事実。
あの時の記憶が蘇りました。
あの自然の凄まじさを。
私たちは忘れてはいけない。
私たちは過去にこの様な震災があったことを語り継ぐべきで、そこから学んだ教訓を決して忘れてはなりません。
1995年1月17日午前5時46分だった。
大阪市西区にある木造の我が家は、突如激しい揺れに襲われた。
それは尋常でない揺れで、あともうひと揺れあれば家は倒れているところだった。
しかし神戸はそれどころではなかった。
経験した人しかわからない猛烈な揺れ。
ここ神戸港も甚大なる被害を出した。
岸壁の崩壊した部分が、僅かだが記念として残っている。
後世の人々の記憶から忘れ去られないために。
死者6,434名、負傷者43,792名だった。
合掌。
震災で被害を受けた岸壁の一部がそのまま遺されている貴重な場所。
周囲の壁には、当時の記録が説明されている。
周囲に観光施設やパーティー会場があって、過去と現在のコントラストを感じる。
被災地をリアルに知る機会がなかった身にも、複雑な光景だ。
静かな夜に訪れるのもいい。
22時過ぎ頃までライトアップされている。
名前 |
神戸港震災メモリアルパーク |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
078-321-0085 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
4.2 |
神戸ルミナリエ開催の二日前、2024年1月17日の会場の様子がこれ。
コロナ禍前の旧居留地エリアで開催されていた頃とは規模が違いすぎる模様。