下山口駅から、踏切を渡って西方に200mほどでしょ...
地域で語り継がれてきた、昔話の伝わる御地蔵様です。
「昔々、山口の町屋という所に「かね善」という染物屋がありました。
主人の善兵衛は手広く商売をしており、大変繁盛していていました。
善兵衛には吉之助という放蕩息子がおり、新堀の 気立ての優しい おりんという娘と結婚しましましたが、善兵衛は 嫁にきた おりんに辛く当たり商売優先で下女同然に働かさせる毎日でした。
やがて、おりんは身籠もり可愛いらしい男の子を生みましたが吉之助は外で遊び歩き、善兵衛は世継ぎが出来ても喜びもせずに、おりんに辛く当たり続けました。
仕方なく おりんは実家から妹のおくらを呼び、赤子の面倒を見て貰うことにしましたが、母の心情を知ってか その子はよく泣きました。
その泣き方があまりにうるさかった為ある夜 善兵衛が「うるさい、外へ叩き出してしまえ」と激怒し、赤子の身の危険を感じた おくらは逃げるように赤子を抱いて外へ飛び出しました。
ところが桜渕の土橋の近くまで来た時、さーっと突風が吹いて ふと気づくと抱いていた筈の赤子がいません。
おくらは赤子を必死に探し彷徨いましたが翌朝桜渕の水中から冷たくなって発見されました。
おくらは淵に身を投げ自らの命を絶ち、それを知った おりんは気がふれてしまいました。
その後しばらく、桜淵の桜の老木の洞から赤子の泣く声とそれをあやす子守唄が聞こえたと言い、程なく吉之助も熱病にかかって死んでしまいました。
かね善は働く染物職人も次第に減って衰退の一途を辿り、遂には潰れてしまいました。
善兵衛は商売一辺倒だった自らの過ちを深く悔いて、桜淵に地蔵尊を立て、自分も寺の寺男となって不幸な赤子と おくらの菩提を弔いながら余生を送りましたとさ。
」
名前 |
桜渕延命地蔵尊 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
下山口駅から、踏切を渡って西方に200mほどでしょうか。
柳瀬川に架かる橋を渡ったところにござひます。
幟も立ち、目立つ祠であります。
こちら、「重々しい伝承」がござひます。
江戸時代、赤ちゃんのお守りをしていた女性(母の妹)…。
赤ちゃんを見失ひ、その後、赤ちゃんは柳瀬川で死体で見つかります。
女性は、責任を感じ、桜渕に身を投げて死んでしまったということです。
その供養のために立ったのが、この地蔵であります。
しかし…。
小生、この川、小さい頃から知っておるのですが…。
身を投げて死ぬほどの水量があったことござひません。
柳瀬川は六ツ家川などと合流し、下流の清瀬市あたりだと水深ありますが…この辺は、大雨でもない限り、とても浅いのですが…。
桜渕というくらひですから、昔は水深があったのでしょうかねえ…。
いつも綺麗にされ、花が手向けられている、非常にいい波長のお地蔵様です。
近隣のみなさんの尊崇を集めているやうです。
みなさん、通りましたら、手を合わせてくださいな。
良い旅を。
(´・ω・`)/~~