凛とした空気感がありつつ、心が穏やかになり落ち着き...
平日でしたが大変人気の神社でしょう、たくさんの参拝者が神社を訪れておりました。
立派な神社でしたよ!御朱印も大変丁寧に対応して頂きましたよ!御朱印の種類も多過ぎです!悩んでシンプルな物にしました!
初めて伺ったのですが、紅葉が見事で自然の素晴らしさに感動しました。
きちんとお参りすることもでき、日々の感謝も伝えることができたことが良かったです。
後に東北の日光と称えられていることを知ったので、今度お参りする際はきちんと知識を頭に入れてからお参りしたいと思います。
ライトアップをやってるので、行きました🚗 ³₃17時着で、少し混雑しており臨時駐車場の方を案内されました。
皆さん紅葉のライトアップ撮って滞在時間は短いので回転率はよさそう。
足元は暗いので階段は注意💦16時頃いって、昼間の様子とどちらも見れると良いかも知れません⛩️お守りは17時過ぎても売ってましたし、参拝も可能。
おみくじも引けます。
神橋のところで、少しですが串焼きなどの食べ物売ってました。
寒いので防寒必須です☺︎全体的にこじんまりとまとまってて、いいところです。
観光地の〆に行くのおすすめ( ˶'꒳'˵ )b
12年ぶりに、参拝させていただきました。
いつ来ても紅葉🍁素晴らしいです!石段の、和傘☂とっても良いです😽もみじ🍁との、コントラスが、素晴らしいです!😺今年始めて御朱印いただきました。
来年も又来たいと、思います。
紅葉の時期に伺いました。
少し遅くなったかと思いましたが、紅葉がとても綺麗でした。
歴史を感じさせる神社と白い鳥居⛩️が印象的です。
鳥居の色に決まりがないらしく、清さを白い色で表しているんだと教えていただきました。
平日でしたが、とても賑わっていました。
あてなし福島旅。
紫陽花の手水舎が気になって行ってみると、圧巻の白鳥居からお目当ての手水舎を目指すと、涼しげな風鈴の音。
この旅は移動中通り雨に晒されるが、目的地に着くと晴れ上がるという強運の連続。
コンパクトなサイズ感の中でも、充実度の高いお社。
また来てしまった‼︎ココ長いけど頑張って登ってきた(๑u003e◡u003c๑)息切れがヤバいやっぱ❗️ココが一番良いかも(o^^o)久しぶりにおみくじ良かった!まだまだ上に行ける🎶夏だね〜🎐ここら辺で帰ろ〜夜も勉強会だった\\٩( 'ω' )و ////安全運転で帰りますまた来年桜🌸のシーズンに来ます。
猪苗代湖に伺った際立ち寄らせて頂きましたが、綺麗な神社様でした。
奥の院までの道のりも風や鳥の囀りに癒されつつ、熊の看板とけづられた木肌をながめてはドキドキしながら参拝させていただきました。
沢山お守りや御朱印がありおどろきました。
はにつ神社。
こんな白い鳥居があるのか!とネットで見つけて衝撃を受けました。
雪と白い雲に鳥居が溶け込んでる様でした。
時々顔を見せる青い空がまた良かったです。
白い鳥居は幻想的でした。
2021.11.6、土津神社には何度か訪れたものの時期を逃した神社の紅葉🍁へ。
親切な駐車場誘導員、綺麗なトイレに地元想いを感じて神社に向かう。
菊を浮かべた手水、その水面に映る紅葉の美しさに感動。
歩を進めて目に入る鮮やかな真っ赤な紅葉🍁。
折しも「七五三」、快晴の下晴れ着に身を包む愛娘に微笑む若い両親。
紅葉を愛でるカップルや老夫婦の姿など、すべてが微笑ましい❗️。
神社を参拝後に向かった会津藩藩祖「保科正之公墓所」。
杉木立に挟まれ、杉の枯れ葉が掃き出された石を敷きの参道 (約500m) に「おもてなし」を想う。
行き交う多くの参拝者同様、正之公墓所に手を合わせて後にしました。
会津藩祖保科正之公を祀っておられます。
白い立派な鳥居と木々に囲まれたとても心安らかになれるとても良い場所でした。
これから紅葉の季節、雪の季節とまた違った魅力があるのでしょうね。
御朱印は手書きで書いていただきました。
正面に駐車場があり道路を横断してすぐと近くです。
白い大きな鳥居の前の駐車場の他に下にも大きな駐車場があり、石段を上って本殿に行くが、歩行に支障がある人は車で行くと本殿と同じ高さに駐車場がある。
趣きのある建物や亀石の碑等が立派だ。
奥にある保科家の墓は坂道を上って行くか、車で行くかは気持ちと体力による。
2021.4 初訪問です。
前年の紅葉シーズンに嫁が行っており🌸桜も綺麗と言うので🌸を見に行って来ました。
桜の本数自体は、そんなに多くなく🌸桜<🍁紅葉か?目の前に🅿️無料駐車場が有るので車を降りて直ぐです。
桜を眺めがてら参拝しました。
紅葉が美しい神社として、以前から名前は知ってはいましたが、実際に参拝したのは今回初めて。
正面の白い大トリイが珍しく、青空と桜とのコントラストがとてもきれいでした✨
2月20日、春の様な日に猪苗代の土津神社行って来ました。
雪に覆われた世界の中に神社が有りました。
🅿️に車を止め石造りの鳥居をくぐり抜け雪に埋もれた階段を滑りながら一歩一歩上がって行きます。
徳川2代将軍、秀忠の第4子として産まれました。
複雑な状況下に有った為、高遠藩の保科家に養子として行かれました。
今、会津に高遠蕎麦が有るのはその為でしょうか?やがて、会津23万石の藩主と成りました。
兄の家光も徳川を名乗る様に言ったそうですが、養子に行った保科の名前のまま一生を通しました。
さすがですね?3代、4代の将軍の補佐役として徳川を盛り立てたそうです。
そんな保科正之公をお祀りしている神社です。
もう一度春に行ってみたいと思います。
3回目の訪問です。
桜の時期と紅葉の時期、今回は初詣に来ました。
春夏秋冬、景色も美しい神社です。
いつもは長い階段を登り奥の院まで行くのですが、今回は雪の為、奥の院までは行けませんでした。
紅葉の時期に行った時には奥の院に行く登りの途中に熊の恐い看板があり、急ぎ足で下って来ました。
いつの間にか季節ごとの素敵な限定御朱印が増えていました。
土津神社は小さい頃から行きなれた所。
いついっても落ち着く。
手水場が花で飾られていて清々しくも美しく磐梯山伏流水が一層澄みきってかんじられた。
11月2日に行きました。
ここの紅葉は発色が素晴らしかったです。
人気の場所で、紅葉の最盛期だったのにそんなに混んでるわけでもなく、ゆっくり写真を撮りながら見て回ることができました。
とても静かでよいところでした。
御朱印もたくさんの種類があり、選ぶのに苦労しました。
きっと自分に合った御朱印が頂けると思います。
福島に旅行に行った時に立ち寄りました。
頂上まで参拝するのに坂道を登り、真夏の暑い時期だったので大汗かきました。
でも良い運動になりました。
一生に1回2回行けるか?な場所なので行けて良かったです。
こんな立派な神社なのに、神主さんは常駐していないようでした。
御朱印は書置きのものがあり、自分で御朱印料を箱に入れてセルフサービスとなっている。
司馬遼太郎が、「秀忠が生涯にただ一度(とおもわれる)浮気をしなかったならば会津松平家は日本史に存在しなかったであろう」(「歴史を紀行する」)と書いた保科正之。
これはマジ面白いストーリーだ。
彼の廟は神社の裏手、500mくらいのところにあるのだが、その登り道には「熊注意」の看板が!地元の人も鈴を持って歩いていたので、これは相当マジなのだろう。
iPhone で音楽を流しながら廟所まで登ったが、気が気じゃなかった。
ここは会津生まれなら必ず来なければならない場所。
江戸時代の名君の一人、保科正之公が祀られている神社です。
墓所までの石畳の参道もすばらしかった。
早朝行ったため、くま出没注意の看板を見てビビりながらの参拝でした。
会津藩の藩祖、保科正之公を祭神とする神社だが、創建当時の建物は戊辰戦争の際に全焼し(焼いたのは味方の判断であり、戦火で焼けたのとはちと違う)、今ある拝殿本殿とその周辺の社務所とか諸々は、由緒を考えると余りにチープ。
せいぜい3つ止まり。
土津神社に来たからには、奥の院という、保科正之公墓所まで足を伸ばさないと、余り意味はない。
神社右脇から両脇に杉の木が生え揃う玉石が敷き詰められた参拝路を500m か1000m程度登る。
距離はともかく、非常に歩きにくいのが、かなり面倒。
その先に微に見えるのは、墓そのものではなく、手前にある遥拝所であるが、パワースポットと呼ぶに差し支えない雰囲気を醸し出す(パワースポットなのかは保証しない)。
なお、墓所というか、八角形という鎮石が、一段と小高い丘の上にあるが、周囲は柵で囲われ遠くから眺めるのみ。
それでも正之公が崇敬した吉川神道の色が濃く出たと思われる、今では全然類を見ない独特な雰囲気は、ひしひしと伝わる。
静かで癒やされる御朱印と赤べこマスク頂きました。
秋の紅葉時はもちろんですが、凛とした空気感がありつつ、心が穏やかになり落ち着きます。
拝殿だけでなく、保科氏の墓所にも訪れてみてください。
パワーがみなぎってますよ(^^)
会津藩祖、保科正之公の墓所で、約400年前に建立されたそうです❗春の桜🌸や秋の紅葉🍁の時期には多くの参拝客で賑やかになります🎵紅葉🍁は11月初めに見頃を迎えますが、近年は夜のライトアップイベントもカップルに人気のようです🎵
會津初代藩祖・保科正之公を祀った神社です。
創建当初の神社は戊辰戦争の時に焼失しましたが、明治13(1880)年に現在の社が建てられました。
境内にある亀石に載った石碑は日本最大のもので高さ7.3m、重量30tもあります。
また、札幌の琴似神社には、明治8年(1875年)に旧琴似村に屯田兵が入村し、主に宮城県亘理郡の士族と福島県會津の士族でしたので、亘理神社より伊達成実公をお迎えし、後年には會津初代藩祖保科正之公(猪苗代町土津神社)を合わせてお祀りしています。
戊辰戦争を経て、會津から北海道の開拓にあたった先人達を想いながら見学すると、感慨深いものがあります。
紅葉が綺麗な季節に訪問しました。
紅葉の見ごろは、10月下旬から11月上旬です。
陸奥会津藩初代藩主、保科正之を祀っている神社だそうです。
行った時には神社の敷地内で、笹団子で有名な宝来堂製菓さんの出店があり、炭火で焼いたお団子や笹団子の販売をされてました。
マイクロバスも停められるくらいの駐車スペースがあり、神社の鳥居のところにも車が停められるスペースがあります。
2017年7月に訪問。
徳川2代将軍・秀忠公の側室の子供、保科正之公の墓所があり、1675年創建の読み方は土津(はにつ)神社です。
3代将軍・家光公の異母兄弟にあたり、家光公の信頼も厚く、会津藩の藩祖となった人物です。
江戸城の天守閣も含め江戸中が燃え、10万人以上が亡くなったと言われる1657年1月の明歴の大火の復興で陣頭指揮をとったのが保科正之公であります。
当時は戦国時代の気風が残る時代なため、城下町は敵が責めてきても侵入されにくいように設計されており、道幅も狭く、橋の建設もかなり制限されていたようです。
逆に、火事になると町民達の逃げ場がなく、真冬の川に飛び込み、溺死した人も数多くいたようです。
そのため、保科正之公は主要道路の道幅を拡充するとともに、川に橋を建設したとのこと。
それが今も東京に地名として残る「上野広小路」や「両国橋」だそうです。
また、江戸城の天守閣を再建するお金があるのであれば庶民に使うべき、という考えだったため、天守閣の再建はされませんでした。
現在も江戸城に天守閣がない理由は保科正之公の存在なくして語れません。
当時の徳川幕府は3代将軍・家光公が亡くなり、4代将軍・家綱公が11歳で世継をする政治的な危機もあり、そこに未曾有の大災害も重なった時代で、保科正之公がいなければ、徳川幕府が長く続くこともなかったと言われるほどの偉人です。
ただ、偉大すぎたために、戊辰戦争での会津藩の悲劇を生んだ遠因とも言われます。
ここ土津神社も江戸時代には日光東照宮と同じくらい豪華な神社であったようで、東北の大名の参勤交代の際は日光東照宮と同様、必ず訪れていた神社のようです。
現在はそういった遺構はあまり残っていませんが、保科正之公の墓所までの道のりは、日光東照宮の家康公の墓所とどことなく似ており、素晴らしい気持ちにさせてくれます☆時代が変われば人々の価値観が180°変わることもあり、ここ土津神社はそのことを象徴する、歴史的にも、色々な意味でも、大変価値のある神社だと思います☆☆
会津藩祖保科正之が祀られている神社。
読みは「はにつじんじゃ」。
本来、会津藩の藩祖と言えば蒲生氏郷だが、保科正之の入封をもって、奥羽の外様大名を束ねる扇の要として会津藩の安定を見たものでもあるし、また会津松平家としての藩祖と言う事でもある。
余談だが保科正之が転封となった山形藩は幕閣の左遷地になり果ててしまっているので、やはり会津にとっては偉大な人物である事に違いない。
往時は、日光と並び称される程だったものの、戊辰戦争で焼けてしまいその姿を見ることが出来ないが、現在は拝殿の他、石畳の参道が奥の院である保科正之の墓まで伸びているので、あわせてお参りしておきたい。
日光の東照宮と並ぶ徳川家由来の神社。
戊辰戦争で焼けてしまい、当時の姿が見られないのが残念。
この神社は、神殿 回廊など奥日光または東北の日光と言われるほどの格式ある神社さんで、ここだけに許された、徳川家紋を押してくれる!! 特別な御朱印になりました。
玄武が見つめるその先にあるものは。
霊的パワービンビン感じる神社です。
自分の中でもパワースポットです。
名前 |
土津神社-子どもと出世の神様 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0242-62-2160 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 8:00~17:00 |
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評価 |
4.2 |
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御朱印いただきましたが、印刷でした。
月日は手書きでしたが、もう少し綺麗な字で書いて欲しかったです。
紅葉🍁は終わりかけもあれば最高に美しいもみじもそれぞれでした。
*九日はお天気も良かったのもあり、参拝の方(ご高齢の方)が多くいらっしゃいました。
階段の↕️が高過ぎて苦労し上られている姿が見受けられました。
先人が苦労して作られたのですが、手すりがあったのが良かったです。
参拝し右上に玉石が敷き詰められた参道を900メートル近く上っていくと保科様の埋葬された所に着きます。
玉石も長い歳月をかけ並べ敷き詰めたことでしょう。
良い一日でした。
新郎新婦の写真撮影もされておりました。