聖徳太子を祀っているそうです。
神明造。
玉垣には土建屋の名前が多く刻まれる。
地元の太子講によって建てられたのだろう。
案内板には,もとは桜川沿いにあったそうだが,治水工事に伴って当地に移転されたとある。
聖徳太子堂:土浦市中央1丁目(亀城公園内)鎮座聖徳太子堂は、日本文化と日本仏教の元祖である聖徳太子が祀られています!境内の聖徳太子報恩碑は、昭和11(1936)年に土浦の有志により桜川畔に建てられ、次いで昭和40(1965)年、土手の改修工事のため移されることになり、時の市長であった天谷丑之助氏の厚意により、土浦五職組合の人々が、亀城公園内に移し、御堂を建て太子御尊像を奉納したとの事です!以降、五職組合の人々が聖徳太子奉讃会を興し、職祖神として太子をお祀りしているそうです!でも、土浦と聖徳太子の結びつきが今一つ・・・・・💦
現在、本丸は無いのにお堀と外側だけで充分にお城を満喫出来ました。
街中にあるので彦根城を思い出しましたが、又 異なる素晴らしさを感じました。
土浦に聖徳太子をまつわる像があるのはビックリした!昭和11年に作られ40年に移動されたんですね!良く聞き取れる様にとお願いしました✨
昭和11年に地元有志たちによって建てられた聖徳太子を祀る神社。
元は、土浦市内でも大手町の桜川河川敷近くにあったそうですが、河川工事により、昭和40年頃にここ亀城公園内に移転したそうです。
名前 |
聖徳太子堂 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.2 |
聖徳太子なんて、現代人にとっては「むかしのなんだか偉い人」にすぎないかな?学校時代に「十七条の憲法」を定めたとか習うだけか。
古い人なら一万円札・五千円札の肖像の人物。
最近の教科書からは(ある種の「歴史観」に基づいて、存在しなかったか、「厩戸皇子」と呼ばれて)抹消されているそうだが、かつては建築や木工の守護神として、庶民のあいだでも広く信仰された人物だ。
江戸時代には、太子の忌日の二月二十二日が「太子講」の日で、木工職人や建築関係の職人たちが、太子の図像を掛けたひと間に部屋に集まって、飲み食いしながら仕事上の問題を話し合った。
当地でもそういった信仰があり、講の人たちがお堂を祀っておられるのだろう。