名前 |
天津神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
明治維新の動乱の中、薩長新政権が打ち出した思想政策により仏教施設への無差別な攻撃、廃仏毀釈により仏教文化の活動が行われ数々の日本の良き伝統や大切な物が明治時代に沢山なくなりました。
神道と仏教。
神と仏。
神社と寺院とをはっきり区別させる神仏分離により。
今では神社とお寺が近くにあっても一緒にある所は数少ない中で、ここはちゃんと残っている場所です。
でも明治時代に天津神社と改称され、祭神も天之御中主神に改められており、ここからは個人的な見解ですが。
造化三神の天之御中主神様よりも前は近くの花見川を流れる近くに花島観音など多くの仏像が残されています。
なのでこちらも元々は花見川の龍神や水分神。
古来の祭神は水に関係のある神様だったんじゃないかと思うので、これから調べていきたいと思います。