戦争の記録を伝える貴重な史跡ですね。
私が小学生の頃 壊す計画があったみたいです。
大きな鉄球を使って両端のはりだけは撤去したのですが本体は未だに残っています。
上に何度か登りました。
陸軍鉄道第二連隊が鉄道敷設訓練のため設えた橋脚が残されている。
🌸の季節は家族連れで賑わう。
詳細についてはほかの方の口コミをご参照あれ。
またこの場所から凡そ150mほど坂道をのぼった所に木下街道(きおろしかいどう)がとおっているが、その交叉点を印西方向に左折してすぐの所(車線は反対側(馬込沢方面)の歩道上)に陸軍境界石がかろうじて残されている。
馬込沢駅から徒歩15分位、アカシア児童遊園内に幾つかの橋脚が残り、鉄道連隊橋脚の説明板が設置され、次のように記されています。
史跡 鉄道連隊橋脚この橋脚は、昭和初期に旧日本軍の鉄道大隊が、訓練や物資等の輸送のため、建設した鉄道の一部です。
近代の戦争では、鉄道は人や物資の輸送のために重要な役割を担っていました。
千葉県でも、鉄道大隊から独立した第1鉄道連隊が千葉町(現在の千葉市)に、第2鉄道連隊が津田沼町(現在の新京成新津田沼駅の辺り)に配備され、昭和20年(1945年)第2次世界大戦終了まで活躍しました。
この橋脚は、第2鉄道連隊が、大戦中、鉄道を敷く訓練として津田沼~松戸間に設けた路線の一部でしたが、終戦後は放置されていたため、この部分を除くほとんどを京成電鉄が買い受けました。
その後、昭和21年(1946年)に京成電鉄の出資により新京成電鉄が設立され、当路線の整備を行いました。
しかし、この部分は整備から除かれ、この橋脚だけが残りました。
現在の新京成電鉄の全線が、整備を終え開通したのは、昭和30年(1955年)のことでした。
平成11年3月 鎌ヶ谷市教育委員会令和の時代になっても、戦争の遺物が残っており、後世に語り継がれますように。
現在の新京成電鉄の路線の前身として、かつて鉄道連隊の演習路線があったことを知る貴重な遺構です。
谷を渡る橋のコンクリート製の橋脚だけが残されていて、型枠の跡などが見て取れます。
橋脚の周囲は小さな運動広場になっています。
ここは昔軍事用の線路がかかっていた跡のようでのちの新京成電鉄。
軍事用線路が使われなくなって新京成が買収した際にうまくつなげられない理由で脚のみ残したようです。
4月になると桜が綺麗に咲き、廃線を見ながら花見ができます。
津田沼に置かれた陸軍鉄道第2連隊は、昭和初年に訓練用として、津田沼~松戸間に鉄道を敷設した。
これはその橋脚である。
線路は第二次世界大戦後、現在の新京成電鉄に払い下げられたが、訓練用に敷設された線路のため大きく曲がりくねっていたので手直しがされた際に路線に組み込まれず橋脚だけが残されました。
名前 |
鉄道連隊橋脚 |
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ジャンル |
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電話番号 |
047-445-1141 |
住所 |
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関連サイト |
http://www.kama-navi.jp/spot/history/shiseki/1396504103558.html |
評価 |
3.9 |
日本軍の鉄道連隊が訓練や貨物輸送に使っていた橋脚だそうです。
3基並んでいて線路を走っていた汽車🚂を想像しながら見て楽しみました😊