竹林公園の横に有る、静かな御陵さん。
伝高畠陵古墳(桓武天皇皇后陵) / / .
天皇陵って 京都らしいです‼️
被葬者:桓武天皇皇后 天之高藤廣宗照姫之尊(藤原乙牟漏)宮内庁により、第50代・桓武天皇皇后である藤原乙牟漏の高畠陵に治定されています。
天之高藤廣宗照姫之尊の名は諡号です。
天応元年(781)4月15日に山部親王が桓武天皇に即位すると、延暦2年(783)2月7日には夫人となり、4月に皇后に立てられました。
延暦9年(790)閏3月10日に31歳で崩御し、高畠陵に葬られたと伝えられています。
拝:2020/11/07
長岡京を築いたとされる。
恒武天皇のお墓で、宮内庁陵になります。
道路を西に進むと、竹の径の竹林の中に寺戸大塚古墳があります。
全て天皇陵(112基)、白鳥陵(3基)、神代3陵のご拝陵が叶ったので、今度はまだ行けてない皇后の陵も巡る事に。
桓武天皇の皇后で藤原乙牟漏(ふじわらのおとむと)平城天皇と嵯峨天皇の母親。
なんでも、続日本紀に美しいく温和な方で、礼儀正しく良い母だったと記されているらしい。
町から上がった高台にあり、回りは竹林で、静かなところです。
ちょっと先には、小学校があります。
周囲を竹林に囲まれている円丘の陵墓です。
陵墓東側を通る道路からは円丘の外観を見ることができますが、道路は急勾配で自転車で上るには一苦労でした。
参拝時には詰所向かい側に皇陵巡拝会の道標が横たわっていました。
宮内庁書陵部の陵墓地形図集成によると面積は5305.03㎡とされています。
高台にある第六向陽小学校のすぐ側にあります。
娘がこの学校に通っていたので、用事が有るときは、この前の道を通っていました。
此処に来るには、細いちょっと薄暗い道を結構登って行きます。
(もう一つ大牧の方から来る広い道も有ります。
ちょっと回り道になりますが)。
最初はこんな場所にあること知らなかったけど、何の気なしに駐車場の奥見たら何か有るみたいなので、行ってみたらここが有りました。
小さく、すぐ見渡せる古墳ですがキチンと掃除が行き届き、清潔感有ります。
メジャーではないですが、歴史有る場所なので是非行ってみて下さい。
o(^-^)o斜め前にお墓ありますが、心霊スポットです((( ;゚Д゚)))此処に車止めると、人数が増えて帰ってきます‼そのあとは,です。
平安京を創めた桓武天皇皇后の廟竹林に繫がり、古墳ロードと景色も広やかな洛西のオススメスポット☆☆☆
「これと同じものを見たことがある」というのが感想です。
実際宮内庁が管理する陵は画一的ですね。
桓武天皇(在位:781年- 806年)の皇后乙牟漏(おとむろ)の墓として宮内庁に管理されている。
直径約65mの円墳。
ただし、考古学的には、4世紀~5世紀前半頃に築造された首長墓と推測され、「伝高畠陵古墳」とも呼ばれている。
桓武天皇の皇后の御陵とされていますが、古墳時代に作られた古墳です。
やや高台にある。
桓武天皇の皇后で名を藤原乙牟漏(ふじわら の おとむろ)という。
760年 - 790年。
第51代平城天皇・第52代嵯峨天皇の生母。
父は藤原式家の藤原良継、母は阿倍粳蟲の娘で尚侍兼尚蔵・阿倍古美奈。
789年31歳で崩御し、高畠陵(向日市)に葬られた。
806年即位した平城天皇により、皇太后を追贈された。
『続日本紀』によると、「后姓柔婉にして美姿あり。
儀、女則に閑って母儀之徳有り」と記されており、「乙牟漏皇后は美しい方で、温和なお人柄であられた。
礼儀正しく、良き母であられた」という意味である。
マイナーな陵墓は管理する人が常駐していないことが多いが、ここはしっかりと管理人がいた。
竹林公園の横に有る、静かな御陵さん。
学校が近くに有るようで子ども達の声が聞こえのどかでした。
名前 |
伝高畠陵古墳(桓武天皇皇后陵) |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.city.muko.kyoto.jp/rekimachi/meisho/1522138507463.html |
評価 |
3.7 |
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部活の声が響くエリア。
鳥のさえずりが気持ちいい。
両サイドの松の木が美しい。
隣の竹林は筍栽培をしているそうです。