セブンイレブンを探し回っていたところ小さな神社が目...
池袋の落ち着き空間、いや都会の谷間かな?天気の良い日に猫が集まる。
疲れた時にひと休みしてください。
線路沿いの繁華街にある社で、あやしい空気の時もあるけど、人がいないといい雰囲気を感じます。
昼間に訪れると鳩がたくさんいて、夏場はてみずで水浴びしている姿が見られます。
池袋駅東口から上野方面へ線路沿いを徒歩5〜6分、池袋公園内にあります。
池袋の喧騒の中で、少しの落ち着きを与えてくれます。
敷地は細長く線路に沿ってあります。
JR池袋駅東口より徒歩約6分。
池袋駅前公園の北側に鎮座している水天宮。
総本社は福岡県久留米にあります。
昭和3年(1928年)に地域の発展のために日本橋水天宮より御札を頂き創建されたのが始まりとのことです。
御祭神は・天御中主大神・安徳天皇・建礼門院ご利益は・健康長寿・安産祈願・子育大願・防災招福大都会の中にこじんまりと鎮座していますが穏やかな優しい気を感じる空間です。
向かって右側には4体のオシャモジを持った道祖神さまがにこやかにお迎えしてくれますよ。
桜並木が綺麗で花吹雪が舞う中の参拝です。
11月に元気な赤ちゃんが産まれますように!!
駅近くの公園に鎮座されている神社。
憩いの場となっている。
案内板に昭和三年に蛎殻町の水天宮から勧請したのが当社の始まりとある。
しかし、昭和三十二年五月健之銘の手水石と鳥居があり、それぞれに「遷宮三十年記念」と刻むので、昭和二年に勧請されたのではないかと思うが、良く分からない。
また、傍らに四体のお爺さんの立像がある。
ネット上に「これらは地蔵尊である」と紹介するものがあったが,錫杖や宝珠の持物を持たないため,それとは同定し難い。
それぞれ,しゃもじとお椀の様なものを持つので,おしゃもじ様と思われるが,詳細は観察からはっきりとはしない。
本殿右手に「大自然妙法神力」と塔身正面に刻む石碑あり。
また、「世界平和 国土安穏 皆報恩感謝」と願文を刻む。
昭和三十四年健之銘。
このタイプの石造物は初めて見た。
パッと調べるに,日本各地に神力を信じる民間信仰があった様である。
何を信仰し,何を目指し,どの様な祭礼を行うのか,は調べがつかなかった。
いずれにせよ,神力講の講社が作ったものだろう。
本殿裏手に反花座(石灯籠の一部)あり。
キャットフードが置かれている。
その傍らにクスノキの神木あり。
池袋水天宮は日本の最高神である天之御中主大神様が鎮座する珍しい神社規模こそ小さいが御利益が大変強く他府県からも参拝者が絶えない。
個人的に思い入れのある所です。
猫が住んでいます。
池袋水天宮。
御祭神は天御中主大神、安徳天皇、建礼門院、二位ノ尼。
駅から歩いて行ける水天宮です。
小さいですが何故かパワーを感じます。
町に溶け込んでいて癒されます。
本来は神聖で静謐な環境であるべきでしょうが、俗世界と隣接しています。
聖俗の交差点のような場です。
お地蔵様の表は聖、裏面は俗。
ネコがときどきいるそうですが、居ませんでした。
喧騒した街並みにぽつんと佇んでおり、なんだかしんみりした気持ちになりました。
周辺は浮浪者や酔っ払いが多いようですので、あまり長居しない方がいいかも。
JR池袋駅の東口から左へ進み、P'PARCOのほうへ入ると、池袋駅前公園があります。
そのまま公園内を100mほど歩くと、池袋水天宮が見えてきます。
御祭神は天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)と平家の三方(安徳天皇・建礼門院(安徳天皇の母)・二位ノ尼(安徳天皇の祖母で、平清盛の妻))です。
源氏の目を逃れて、按察使の局(あぜちのつぼね)が久留米に祠をたててお祀りしたのが創めだと案内板に書かれています。
参勤交代の時代に、久留米藩主が久留米の水天宮を江戸に分霊し、何度も移転を繰り返して、現在の地に鎮座されたそうです。
池袋の数少ない癒しスポット。
ホッと一息、空でも見ながら少し息抜きするのにちょうど良い。
少しの雑踏感が好きです。
土日の朝は謎の行列ができておりますので、ご注意w
その昔、池袋に水田が沢山あった名残です。
石像は九州ではタノカンサー、安曇野などではタノカンサマと親しまれた神様です。
水天宮(本山は九州久留米)は水を司るお宮ですから水が渇れることなく願いを込められ建立されたんでしょう。
五穀豊穣、子孫繁栄を願う場所がこのような場所大切に継がれて来た事が何より素晴らしい事だと思うのです。
数匹の猫が住み着いてるよね?
ずっと残って欲しいな。
池袋公園内にある水天宮です。
残念ながら、近隣はタバコ臭く、吸い殻や空き缶等が散乱しており、神様が可哀想に思えてしまう事も。
多数いらっしゃった猫さんが、かわいかったです。
ただ、周囲でお酒を飲まれていた方々が少し怖かったかも…(>_
水難避け、安産、子授け、商売繁盛、厄払い、延命長寿、開運の神・・・だそうです。
名前 |
池袋水天宮 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
3.7 |
ファミリーマート天国の池袋にて、ネットプリントをする為、セブンイレブンを探し回っていたところ小さな神社が目に入りました。
神社の名は池袋水天宮サァーッと確認したところ池袋水天宮は以下のような由緒になるそうです。
池袋水天宮御祭神 天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)安徳天皇 第八十一代建礼門院 高倉天皇の中宮・安徳天皇の祖母二位ノ尼 平清盛の妻・安徳天皇の祖母・建礼門院の母今から800年昔、寿永4年(1185)、日本の国は源氏と平氏の二つに分かれて戦った。
最後の決戦の場になった赤間関(下関市)の沖合、壇ノ浦の戦で敗れた平家の女官按察使の局が源氏の目を逃れ久留米付近に落ちのび、一門と共に入水された安徳天皇、建礼門院、二位の尼の御霊をささやかな祠をたててお祀りしたのが創めです。
さらに天御中主大神(この国をつくったと伝えられる神)を祀り、やがて平家の三方とこの神の四柱を祀るこの祠を水天宮と称されるようになりました。
慶長4年(1600)有馬豊氏は、家康から筑後川沿岸を領有する久留米藩主を命ぜられました。
2代目有馬忠頼は、このあたりの村人たちが厚く水天宮を敬うのを知ると、立派な新社殿を建て寄進しました。
この水天宮さまは筑後川のほとりにあったので、元来は名の水を司る神様で水天竜王ともいいます。
阿蘇、九重の連山に源を発し、有明海に注ぐ九州第一の大河筑後川は、静かに流れているときは豊かな米、麦の実りを助けますが、大雨が降り続くとまるで狂った竜のように暴れて、人家を呑み田畑を流します。
やがて藩主有馬頼徳の時代になって、参勤交代で江戸へ来ているあいだも郷里の天候が心配で、文政元年(1818)久留米の水天宮を江戸の藩邸内(港区赤羽)に分霊して祀り、筑後川の氾濫がなく、後刻が実るように祈願することにしたのです。
そのころの江戸は世界一の大都市であったといわれており、また諸国から集まって来る大名が、多くの家来を連れて江戸へやって来るので、水天宮も参拝人で大層賑わったのです。
明治維新により藩邸が接収され有馬邸が青山に移ると共に青山へ、さらに明治5年(1872)現在の日本橋蛎殻町に御鎮座致しました。
そして池袋水天宮は、昭和3年(1928)に投じの池袋の有志の方々が池袋繁栄策の為に、日本橋蛎殻町の水天宮の御礼を頂いて来てお祀りしたのがその始まりです。
その後地主さん方の都合によって数回移転を致し、終戦後げんざいちの池袋駅前公園内に御社殿を御造営申し上げたのです。
さらに地域発展の為に協力援助に立ち上がられた方々が、池袋水天宮奉賛会の皆様です。
その後、東池袋1丁目中央町会が奉賛会の運営を引き継ぎ、豊島区及び地域住民及び氏子皆様方の格別なるご支援とご協力の元に、護持されてまいりました。
現在では、地域の集会や例大祭等を介して、コミュニティの場として地域のシンボルとなっています。
平成12年(2000)、豊島区の池袋駅前公園改築工事に伴い、老朽化の目立つ水天宮の御社の全面改築工事を、近隣地域住民の熱意によりここに完成されました。
平成12年(2000)6月吉日池袋水天宮奉賛会東池袋1丁目中央町会東池袋ウイロード商店街振興組合。