面白い階段でした。
手入れがしっかりされていて当時の佇まいが感じらてます。
ABIKO ART Walk 2022 開催中に行ってみました。
この期間は武内カズノリさんの作品と津野元子さんの作品が展示されていました。
志賀直哉邸はありませんが 書斎が再建されたそうです。
「軍国主義」や「左翼デモクラシー」等の政治思想の影響を廃し、自由主義・人権主義を核とした純粋な文学を追求しようとした「白樺派」の重鎮、志賀直哉の邸宅があった場所です。
それにしても志賀直哉は、恐るべき「連続引っ越し魔」だったんですね。
(笑) 自らは生涯に23回も引っ越ししたと豪語し、1915年には京都市→鎌倉→群馬県富士見村→我孫子と一年に4回も住所を移していたほどなのです。
そんな直哉にしては珍しく、この場所が気に入ったのか7年半も滞在していて「和解」「真鶴」等の代表作を書き上げており、我孫子時代は作家としての「充実時代」と評価されています。
訪ねてみると直哉が生活していた頃の母家は失われ、当時の建物の間取りが地面に敷石で再現されていました。
かろうじて執筆活動をしていた小さな書斎が現地に残され、往時を偲ぶよすがとなっています。
鬱蒼とした樹木と大きなアパートに挟まれた、薄暗くて狭い谷間のような場所で「一体こんな場所の、何処が直哉は気に入ったのだろうか?」と思うかもしれませんが、もちろん昔はこんな息苦しい景観じゃなかったんですよ(笑)。
まず当然ながら前面の日差しと眺望を妨げる大きなアパートは、直哉の生活していた大正年間には存在しません。
そのまま穏やかに広がる手賀沼の風景を望むことができました。
また手賀沼も今とは規模が異なり、戦後の干拓で水が抜かれるまでは5倍もの規模がありました。
自宅のすぐそばまで沼がきていて、船着場も附属していたのです。
それで近くに住んでいた武者小路実篤の家まで、よく船で遊びに行っていたそうです。
湖面の光も反射してこの場所は明るく暖かい場所だったはずです。
どうも我孫子市は文教都市を標榜する割には、遺跡の保護や景観の保全の面では後手にまわっている印象があります。
もうちょっと頑張ってください(笑)。
落ち着いた雰囲気の空間で、ベンチに腰掛けて古き良き時代に思いを馳せることができました。
実際にどのように建物があったかなど想像しながら説明文も楽しく見ることが出来ました。
小説を読んでみたいと思います。
昔の志賀直哉の書斎の本物が、建っていることです。
そして志賀直哉の住居の実物見取り図が有ることです😆🎵🎵素晴らしいです。
意外でした、大きな樹に鬱蒼と囲まれ陽当たりが悪かったのではないでしょうか?。
現在は書斎だけ残され、母屋は敷地に跡が説明と共に遺されています。
散歩市が始まりました❗
住宅街にある。
開放的なエントランスで敷地内に入れます。
と言うのは旧武者小路実篤邸は堅牢な門扉が有って入れません。
現在は平屋の書斎しかありませんが雰囲気が有ります。
池、井戸も有ります。
母屋は書斎の裏の坂を上がった高台に有ったようです。
今は林になってますが手賀沼が見渡せる素晴らしい眺望が想像できます。
ウォーキングコースとして最適だと思います。
また伺います。
お父様が好きな小説家のおうちです。
跡地ではあるもののキチンと整備された場所である。
書斎が長年の風雨により強風などあれば壊れそう。
志賀直哉が暗夜行路をここで書いたとか。
原寸の見取り図とか面白いです。
ワンコの散歩コース。
志賀直哉邸跡地は、日陰の中にあり、休憩がてら見ることができます。
明治、大正時代にタイムスリップしたよう。
前の通りも。
大木も多く癒される。
周辺に見所多く再訪したい。
ちょっと日陰で休憩~(*^^*)てかんじのスペースです。
ひっそりと佇む素敵な場所。
志賀直哉の唯一の長編小説である「暗夜行路」を執筆した書斎(離れみたいなもの)だそうです。
こんなところで書いていたのか?と思うようなところでした。
(六畳一間、トイレ付)ここへ来るまで、志賀直哉が我孫子に住んでいいたとは知りませんでしたが、こんなせまい所でもんもんとしながら、三角関係のどろどろした私小説を書いていたんだなぁと、思いをはせながら、暑い日差しをよけて木陰で涼んでしまいました。
我孫子市内には他にも武者小路実篤やバーナードリーチなど多くの著名な文化人が住んでいたそうです。
書斎だけでなく邸宅も残っていたら良かったのですが。
名前 |
志賀直哉邸跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
04-7185-1583 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.7 |
歴史は知りませんでしたが、小屋の裏手に階段がありかなりの急登で滑落に気をつけなければなりませんが、面白い階段でした。