浮間村の鎮守であった氷川神社。
近くの神社ですが、こういう場所もあっていいなと思う空間です。
たぶん、こちらからだと思うのですが、少し前まで6時にあると鐘の音が聞こえてきたのですが最近聞こえなくなって・・・・ちょっと寂しいですね。
祭神はスサノオノミコトとクシイナダヒメ。
創建は浮間村の形成時期である十五,六世紀とされる。
伝大宮氷川神社勧請。
境内の「社殿建設記念の碑」によると浮間村の第六天社・御嶽社・稲荷社・八王子社・猿田彦社が明治四十年六月に合祀されたのだという。
神社合祀政策の影響をモロに受けた様だ。
社殿が高台にあるのは,荒川の氾濫に備えてのこと。
この高台を水塚(ミヅカ)と言う。
現在は治水が万全なため,水塚に建っている家は殆ど残っていないが,かつて近隣の建造物は水塚の上に建っていたそうである。
これはその歴史の名残と言えそうだ。
令和三年三月設置の案内板によると,オシシサマやマンゴリなどの祭礼が残っているそうである。
また,四月には境内でサクラソウの直売をしているが,これは当地がかつてサクラソウの景勝地だったことに因む。
実際に,境内にはそれに関する石碑が多い。
そのうちの一つに,大正十五年十月健之銘の「浮間由来」と題打った漢籍碑文がある。
そこには,「郊原桜草茂陽春競芳妍景色都絶佳隠見白帆船遷客騒人来開一日萃筵※」と刻み,大正当時のサクラソウ見物の様相を伝えている。
また,社殿右手に石碑あり。
明治三十三年十月健之銘。
日清戦争凱旋記念。
黒田氏伊藤氏立石氏三名を顕彰する内容。
裏面に発起人の名を刻むが,三名の親類と思われる(父子同姓同名がいるか。
)。
隣の狛犬に銘じられた文字は「日露戦役出征軍人(以下人名略)」とあるので,こちらも凱旋を記念するものと思われる。
※訓読「郊原(コウゲン)の桜草は陽春(ヨウシュン)に茂(シゲリ)て芳妍(ホウケン)を競(キソ)う。
景色(ケイショク)都(アア)絶佳(ゼッカ)隠見(インケン)の白帆船(ハクハンセン)。
遷客騒人(センカクソウジン)来(キタリ)て,一日(イチジツ)の萃筵(ソウエン?)を開(ヒラ)く」私訳「村外れの野原のサクラソウは,陽気な春に満開となって,その香りと美しさを競い合う。
景色や,ああ,絶佳なるかな,行きては消える白帆船(荒川舟運又は新河岸川舟運と思われる。
サクラソウを見に来た見物客を浮間村まで何度も往復して運んだか。
)。
作家文人がやって来て,終日の宴会?を開いていた」
駅から近いレトロなオアシス!
浮間船戸公園の周りを散策していたら氷川神社が鎮座していたのでお参りさせていただきました。
住宅街にある静かな神社です。
この辺りでは由緒のある神社。
大宮氷川神社より勧請された神社です。
ですから御祭神はスサノオ様です。
こちらは稲荷社、猿田彦社など合併合祀しています。
浮間氷川神社。
御祭神は御祭神は須佐之男尊、寺稲田姫命。
なんといっても拝殿がオシャレ♪薄いピンクが良いアクセントになっていて柔らかい印象ではあるんですが所々に散りばめられてる金色の紋で上品さも醸し出されています☆
浮間氷川神社。
少し裏通りにあります。
地元の人が信仰する神社です。
こじんまりとした境内ですが、キレイに整備されており、気持ちいい場所です。
桜草園の側なので開花時期には出店もあったりします。
公園の近くにあると知って見に行きました。
正月開けなので人が多いのかと思ってましたが、三が日過ぎてからなので待つことなく御参りできました。
規模としては小さいので、地域住民の為の神社です。
こういう神社などは、住民や職場が近くにある方は行った方が良いとされてます。
まずは挨拶が大事らしいです。
浮間村の鎮守であった氷川神社。
幾つかの神社が合祀されています。
公園近くの静かな神社です。
名前 |
浮間氷川神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
静かでよいところ。
落ち着いた気持ちでお参りできました。