今戸橋跡と石焼きイモ屋さん (´∀`)
子供の頃は、まだ山谷堀川が有り橋らしかつたですね。
池波正太郎の小説には、今戸の料亭の話がよくでてきます。
今戸の山谷堀広場に有る、橋跡です。
リバーサイドスポーツセンターが、近くに有ります。
ここが昔、山谷堀と言う堀で、吉原の方に流れていたそうで、現在の欄干跡は、大正時代に架けられた橋の物だそうです。
こういった水路跡散策、オモシロいですネ😊
今戸橋の欄干が残っているけど川はもうないの。
面白いよね。
山谷堀最下流に架かっていた、今戸橋の跡地。
隅田川までの名残はあるが、今や山谷堀は公園になっていて吉原まで流していた様子も伺えない。
東映映画で加藤泰監督:緋牡丹博徒 お竜参上 の中の場面、雪降る今戸橋で 藤純子が菅原文太に帰りの汽車で食べてと渡した風呂敷包から、こぼれ落ちた、蜜柑を拾って文太に手渡しをする場面を思い出す。
江戸の昔、非人頭の車善七の屋敷があった場所が橋の向こうにあった。
今戸橋は特別な場所である。
山谷掘今戸橋遺構(スケッチ画)山谷堀の流は王子飛鳥山辺りの音無し川から分流されて三ノ輪を通り隅田川に流れ込む。
本来は江戸時代に洪水を防ぐために造られた堀だそうだ。
この山谷掘とそれに平行する道日本堤が江戸町人、武士の間に有名となったのは遊郭新吉原のおかげであった。
日本橋川で猪牙船に乗り、隅田川に出て、山谷堀に入り途中から降りて新吉原へ通うのが通であった。
(江戸絵図)明治初期の今戸橋。
木造。
旧奥州街道でもあった。
(写真)山谷掘は暗渠となり山谷堀公園となっている。
(写真)
川は暗キョで現在は橋も川も見えませんから、跡地となってます。
現在は工事中で見せませんでした。
江戸時代の古地図にも所在が記されている。
現在の橋は昭和6年に架橋されたものです。
山谷掘の最下流に架かっていた橋。
今では堀は埋め立てられ橋梁の欄干跡などの痕跡がわかる。
昔は吉原遊廓への楼上は、徒歩でなく船で向かうのが良しとされ、墨田川よりこの橋を潜り、山谷堀を途上する船で賑わい、その船を「親不孝船」とも言われた。
堀の埋め立てにより、安易に橋梁その物の撤去でなく、昔を感じる建築物として残した事に敬意を払う。
今戸橋跡と石焼きイモ屋さん (´∀`)
説明板があります。
昔はどぶ臭かった‼️夏は良くレモン水と焼きトウモロコシを橋の横で売っていた…
山谷堀の埋め立て前を知っている私としては懐かしさでいっぱいです。
名前 |
今戸橋跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
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今では埋め立てられた山谷掘の一番下流に掛かっていた橋の欄干が残されています。
スカイツリーの見比べてもなかなかの存在感です。
もともと山谷掘は吉原に向かう船が通っていた場所でもあり、その昔は悪所通いの中心地だった場所です。
また、近くには時代小説で有名な池波正太郎さんの生家跡もありが、今では野球少年の声が響く健康的な場所になっていて、ちょっと想像しにくいです。