以前から定年記念に江戸切子を買おう!
水戸光圀が名付けたというお屋敷。
徳川吉宗が鷹狩の際に立ち寄った場所だったそうですが、災害で屋敷は無くなってしまったと言い伝えられてます。
今はその面影なく、周囲は民家が建ち並び、車と人の往来が多い道路になってます。
落語やってます。
暖房が入りすぎて暑くて長居できません。
江戸時代にこちらではたくさん梅の花が咲いていました。
今は看板だけです。
亀戸天神にこちらの梅屋敷、香取神社と人の賑わいあったと分かりますね。
オーケー(原文)还行吧。
説明板があり、下のように書かれていました。
梅屋敷は、江戸時代から続く梅の名所でした。
もとは本所埋堀(墨田区)の商人、伊勢屋彦右衛門の別荘で清香庵としていましたが、庭内に梅が多く植えられていたところから「梅屋敷」と呼ばれるようになりました。
なかでも「臥龍梅」と名付けられた一株が有名で、これはまるで龍が大地に横たわっているように見えるところから、水戸光圀が命名したと伝えられています。
また、八代将軍徳川吉宗も鷹狩の帰りにこの地を訪れました。
江戸近郊の行楽地として、花の季節にはたくさんの人々でにぎわい、その様子は『江戸名所図会』『絵本江戸土産』(歌川広重)などの地誌にもとりあげられています。
歌川広重はこの梅屋敷だけで十数種の版画を描き、とくに「名所江戸百景」の中の、太い梅の古木を手前にあしらった錦絵は傑作のひとつにあげられます。
明治四三年(1910)、大雨により隅田川沿岸はほとんど水に浸り、亀戸・大島・砂村のほぼ全域が浸水しました。
この洪水により、梅屋敷のすべての梅樹が枯れ、廃園となりました。
ここに残る石標柱は、江東区創立10周年を記念して、昭和三三年(1958)に建てられたものです。
小さな案内板があります。
名前 |
梅屋敷跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
https://www.city.koto.lg.jp/103020/bunkasports/bunka/bunkazaisiseki/shiseki/16103.html |
評価 |
3.3 |
以前から定年記念に江戸切子を買おう!と思っていて、2年遅れで念願が叶いました。
ギャラリーもあって、眼の保養になりました。
私はガラスが好きなので、何時間でも見ていられます。