橋のすぐ近くに立て札があります。
橋のすぐ近くに立て札があります。
意外と整備されている場所。
江戸時代の後期の国学者に塙保己一という人がいた。
1779(安永9年)に〈群書類従〉の編纂を志し、1793(寛政5年)和学講談所を設立したそうで、この人は7才の時に失明しており、ときの将軍・徳川家斉はその功績から褒美をとらせようとしたが、欲がなく、又、盲目故に物を与えられても見ること能わず、と辞退されたため家斉は、「目を授ける」ことにして、このニ之橋辺りの土地を与えたそうだ。
この橋を通る道は二つ目通りといい、将軍は洒落をプレゼントしたらしい。
昔の娯楽時代劇の中で年に一度、オールスターキャストで作られていたのが〈忠臣蔵〉で、当時の忠臣蔵では、赤穂浪士が吉良邸討ち入りの最後の支度をしたのがこのニ之橋そばのお蕎麦屋さんという設定だったが、昭和のはじめ頃まで実際に蕎麦屋があったそうだ。
まぁ、史実によれば、蕎麦屋は使わなかったらしいが。
(吉良邸に近いから絶対怪しまれる)
池波正太郎の鬼平犯科帳では、二ツ目橋という名で数多く登場するそうです。
名前 |
二之橋跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.4 |
明治通りの京葉道路と新大橋通りの間にある二の橋交差点近くにあります。