教育委員会の説明書きがあるだけ。
与兵衛鮨発祥の地だそうです。
ここから、江戸の鮨🍣が生まれたのかと、感激しました(^_^)
江戸前寿司の発祥の地らしいけど、ここに店を構えていたわけではないそうです。
江戸時代の一般庶民は大概が朝夕の1日2食が当たり前で昼飯を食べる習慣がなかったらしい。
それでも昼を過ぎれば腹が減るわけで、昼八つ刻(だいたい、1時から3時)になると空腹をごまかす為に何かを食べるようにしてたらしく、それがおやつの由来なんですが、寿司は何故か銭湯の前で屋台で売られていたそうです。
当時の銭湯は明け六つ(日の出)から暮れ六つ(日の入り)までの商売で(火事が多い為に夜は営業禁止だった)。
風呂上がりに腹が減ることがありますよね。
それに気づいて銭湯の前に屋台を出したらしく、握り寿司をしたのはおやつ代わりに軽く2~3個つまめるようにするためだったようです。
へえ〜、そうなんだ。
江戸握り鮨発祥の地だそうです。
関西の押し寿司から華屋与兵衛が考案したという与兵衛寿司、一枚看板の史跡です。
今とちがって煮きりを塗ったり火をいれてあったり、握って並べてあったり、江戸前は随分と姿を変えてしまいました。
江戸握り鮨発祥といわれる与兵衛鮨があった場所だそうです。
江戸前にぎり寿司は、文政年間(1818~30)に両国で小泉与兵衛により生み出された。
教育委員会の説明書きがあるだけ。
同名の和食チェーンの発祥地でもないので、ご注意を(笑)。
現在の握り寿司(江戸前寿司)の原点ともいえる華屋与兵衛。
名前 |
与兵衛鮨発祥の地 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
回向院の西、目立たない細い小路にありました。