長いことお世話になってます。
臨済宗妙心寺派 瑞甕山 臨川寺 / / / .
平成末期に建て替えて令和なお寺になりました。
両親のお墓が有るので月に一回、月命日にお墓参りに行きます。
清澄白河が最寄り駅なのでついでに周辺の散策もしてます。
〔瑞甕山 臨川寺/Rinsenji Temple〕延宝8年(1680年)に、松尾芭蕉はこの近くに引っ越して、頻繁に参禅に訪れました。
芭蕉の句の深み、味わいは この参禅から生まれているようです。
承応2年(1653年)に草庵として始まり、その後 仏頂禅師が山号寺号の許しを得ました。
境内には、芭蕉の碑があり、芭蕉ファンが頻繁にお参りしています。
臨済宗の禅寺です。
清澄白河駅から、清洲橋通りを清洲橋方向に歩くと、向かって左手にあります。
〔アクセス〕東京メトロ・都営大江戸線清澄白河駅 徒歩3分。
長いことお世話になってます。
最近近代化しましたね。
落ち着く場所。
和尚も素敵。
歴史を感じるお寺清澄白河駅近くで、清洲橋通り沿いにあります。
あまり目立たない建物ですが、敷地正面の記念碑には、歴史を感じることができます。
中に入るとすぐ「玄武仏碑」という説明板があり、下のように書かれてます。
玄武仏碑 臨川寺は、承応二年(1653)鹿島根本寺(茨城県)第20世の冷山宗仙和尚が小名木川に近い現在地に結んだ臨川庵に始まり、仏頂河南和尚(根本寺第二一世)が幕府に願い出て、正徳三年(1713)に「瑞甕山臨川寺」という山号寺号を許され、京都妙心寺の末寺となりました。
延宝八年(1680)に深川に移り住んだ松尾芭蕉 は、仏頂和尚と親交が厚く、たびたび参禅に通ったと伝えられています。
芭蕉の号「桃青」も仏頂和尚によるものといわれています。
以来、芭蕉ゆかりの寺として玄武仏碑をはじめ、梅花仏碑・墨直しの碑・芭蕉由緒の碑などが残されています。
玄武仏碑は、美濃派の俳人神谷玄武坊(玄武仏、寛政一〇年〈1798〉没)を顕彰するために門下の白山下連中が建てたものです。
延享(1744~48)のはじめ、玄武坊は芭蕉門下の各務支考(梅花仏)が京都双林寺に建てた芭蕉墨直しの墨跡を写した碑を臨川寺に建て、毎年三月に墨直会を催して芭蕉をしのんだといわれています。
また玄武坊は梅花仏碑も建てたといわれ、芭蕉と美濃派の顕彰に尽くしました。
歴史を感じるお寺清澄白河駅近くで、清洲橋通り沿いにあります。
あまり目立たない建物ですが、敷地正面の記念碑には、歴史を感じることができます。
ノーコメント。
松尾芭蕉さんがこちらの住職さんと懇意になりそれが縁で松尾芭蕉巡りのお寺となってます。
名前 |
臨済宗妙心寺派 瑞甕山 臨川寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3641-1968 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
きれいなお寺です。
きちんとお仏壇や自宅のなど供養してくれ、相談出来る頼もしい住職さんです。