私自身嬉しい悲鳴(声を聞いてるだけ)です。
園児が決まった時間に来て、ワイワイガヤガヤ、私自身嬉しい悲鳴(声を聞いてるだけ)です。
77歳のジジイから。
元気が良いから。
そんなに広い公園ではないが、桜の木がたくさんある。
トイレは有りませんがベンチが木ではなく石?で風情があります。
子どもを遊ばせるにはちょうど良い大きさの公園。
砂場とブランコが遊具としてある。
下町の中のオアシス。
浅草通りから外れた場所で一息着く公園です。
トイレないのですけれど。
空いている。
穴場公園トイレはありません。
ベンチ幅が広くコロナ渦でも密になりにくく安心しましたぁ。
通勤途中の公園です。
住宅街の公園で、夕方は子供たちが遊ぶ静かな公園です。
一番ゆっくり、休めますよ~
川柳ゆかりの地だそうです。
いつも空いている公園。
この小ささがちょうどいい。
静かな公園です。
昔はこの場所に知人の家がありました。
ベンチが幾つか。
遊具は少ないけれど落ち着いた佇まいの公園。
すみにある柳は風流。
川柳と何か由縁があるような札がたっていたような。
風通しの良い、小さな公園。
たまたま通りかかった公園です。
合羽橋のコックさんのお店から徒歩3分ぐらいの場所にあります。
そんなに大きな公園ではありませんので、余計に石碑が目立ちます。
どうやら川柳ゆかりの地とのこと。
石碑には柄井川柳 (初代)は享保3年(1718)生まれ、通称を八右衛門、名を正通という。
柄井家は祖父図書の代から浅草龍宝寺門前の名主を務めており、川柳も宝暦5年(1755)から龍宝寺門前の名主となった。
その2年後、宝暦7年(1757)から前句付の点者(選者)として活躍している。
寛政2年(1790)死去。
墓は龍宝寺( 天台宗、蔵前4-36-7) にあり、都指定旧跡となっている。
前句付は出題された前句(主に七七の短句)に付句(主に五七五の長句)をつけるもので、川柳が点者を務める万句合(まんくあわせ)は広く人気を集めた。
明和2年(1765)、川柳の選句集『俳風柳多留(はいふうやなぎだる)』初編の刊行を一つの契機として、付句が独立した文芸となっていった。
この文芸は「川柳点」「狂句」などと呼ばれたが、明治中期から「川柳」の名称が用いられるようになった。
個人の号名が文芸の呼称となるのは稀有のことである。
この地域で活躍した柄井川柳の偉業を記念するため、有志の運動により当公園には平成元年3月に柳が植樹され、平成4年4月には柄井川柳碑が建立された。
と書いてありますね。
土曜日のお昼頃に行ったら誰もいなかったので、のんびり過ごせました。
名前 |
台東区立 菊屋橋公園 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-5246-1321 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
https://www.city.taito.lg.jp/kenchiku/hanamidori/koen/shokai/index.html |
評価 |
3.6 |
周辺のオススメ

旧町名である菊屋橋には親戚や関連会社があったのですが、あまり土地勘はないです。
新堀通りから合羽橋の手前辺りの路地を左折していくと有る公園。
川柳の創始者、柄井川柳ゆかりの公園です。
児童公園ですが、お昼時だったので、居たのはオジサンばかりでした(^_^)