赤穂浪士でいろいろな演劇の素になった邸。
浅野家内匠頭邸跡【東京都指定旧跡】 / / .
忠臣蔵で有名な浅野家の江戸上屋敷跡地、討ち入りを終え、永代橋を渡り泉岳寺への道のりの途中に有り、往時を偲ばれる、付近には隅田川渡し跡、築地居留地跡、キリスト教会、芥川龍之介生誕地、教育学校跡地と歴史を感じる。
赤穂浪士でいろいろな演劇の素になった邸。
今は病院です。
今は、聖路加国際病院になっています。
江戸時代ですが、浅野内匠頭の屋敷跡です。
聖路加病院近くに碑と看板があります。
常陸笠間(茨城県)藩主浅野長直は、正保2年(1645)播磨赤穂(兵庫県)に領地替えとなり、5万3500石を領して内匠頭と称しました。
子の長友の代に分与して5万石となりました。
ここから北西の聖路加国際病院と河岸地を含む一帯8900余坪の地は、赤穂藩主浅野家の江戸上屋敷があった所で、西南二面は築地川に面していました。
忠臣蔵で名高い浅野内匠頭長矩は、長友の子で元禄14年(1701)勅使の接待役の推されましたが3月14日、その指南役であった吉良義央を江戸城中で刃傷に及び、即日、切腹を命ぜられました。
江戸屋敷及び領地などは取り上げられ、赤穂藩主浅野家は断絶しました。
浅野内匠頭が切腹した場所は知っていたが、生前の屋敷がどこにあったのかなんて考えたこともなかったが、築地を歩いていてこの碑を発見した。
当時の築地なんて、かなり寂しい新開地だったのではないかと思うが、歴史に詳しい方に、浅野家がここに屋敷を構えた理由を教えてもらいたい。
赤穂浪士で重要人物の屋敷があった場所😃
名前 |
浅野家内匠頭邸跡【東京都指定旧跡】 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
聖路加病院の脇にあります。