現在は付近の地名として残されています。
京橋は、慶長八年(1603)の創建とされ、日本橋とほぼ同時期に架けられたと伝えられる歴史のある橋です。
昭和三十八年から四十年にかけての京橋川の埋立て工事に伴って撤去されましたが、その名残りを留めるものとして、石造の親柱二基と、石およびコンクリート造の親柱一基が残されています。
このうち、二基の石造親柱は、明治八年(1875)に石造アーチ橋に架け替えられた時のものです。
江戸時代の伝統を引き継ぐ擬宝珠の形をしており、詩人の佐々木支陰の筆による「京橋」と「きやうはし」の橋名が彫られています。
また、石およびコンクリート造の親柱は、大正十一年(1922)の拡張工事でアール・デコ風の橋に架け替えられた時のものです。
照明設備を備えた近代的な意匠を持ち、「京橋」と「きょうはし」の橋名と「大正十一年十一月 成」の銅板プレートが付けられています。
明治・大正と二つの時代に設置された親柱は、近代橋梁のデザインの変化を知ることができる貴重な建造物として、中央区民文化財に登録されています。
親柱。
距離を隔てて2本あり、製作様式の違いを比較すると面白いです。
また道路を挟んで反対側にも別の親柱があります。
「京橋」はかつて存在した橋で、現在は付近の地名として残されています。
京橋は日本橋と並ぶ名橋で、日本橋より東海道にて京都方向に向かう場合、 街道で最初に渡る橋として重要な意味合いをもっていたそうです。
警察博物館と、関係が有りそうな位、目の前にあります。
ここは、京橋なんだ!と、大正ロマンを感じます。
この付近は、新しいビルディングが立ち並び、ますます古い建物🏢施設が無くなっていますね。
残したい日本🏯古代・昔を感じさせます。
日本の中心地を感じる地です。
もう少し景観を残しておくべきだ。
こんな碑があるとは知りませんでした。
勉強になります。
京都出身の者が付近で遊女屋を営んでいたことに由来する「京橋川」に架けられた橋の名前に由来するそうです。
橋が先か川が先か混乱する…😣1959年(昭和34年)、京橋川が埋め立てられ、橋は撤去され、現在は町名だけが残っている。
付近には「警察博物館」があって、展示してるパトカーの掃除をする女子達の黄色い声が…と思ってそちらを覗くと妙齢のお母様方が楽しそうに開館の準備をされていた。
昔はここが川で橋が架かってたのね。
今は地名。
京橋は慶長年間(1596年から1615年)に架けられて以来、幾度もの架替を経てきたそうです。
この橋柱は明治八年に架け替えられた時の親柱だそうです。
名前 |
京橋の碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
4.1 |
京橋の明治時代の親柱。
この他に二つ残っており全部で3つあります。