日本橋本町の昭和通り沿いにある石碑です。
馬込勘解由は「まごめかげゆ」と読みます。
日本橋大伝馬町二丁目で代々伝馬役・名主役を務めた馬込家当主が代々名乗った名前だそうで、ウィキペディアには『幼少より時の領主徳川家康に仕え、兵站を担っていた。
天正18年(1590年)家康に連れ立って江戸城に赴き、当初後の呉服橋御門内にあたる宝田村に居住し、伝馬役・名主役を務めた』と書いてありました。
なんだか良く分からんけど、名主の中でも筆頭的存在で、とっても偉い人だったようです。
まぁ偉くなきゃ碑はたちませんが。
小津和紙さんの近くにあって見つけやすいと思います。
碑文には下のように書かれてます。
徳川家康による江戸城築城のおり、寶田村が城の拡張により移転のやむなきに至った。
譜代の家臣である馬込勘解由が寶田村の鎮守の御本尊を奉安して住民と共に現在地に移転した。
この大業を成し遂げた功により、勘解由は江戸の筆頭名主となり年間役料は、210両の最高であった。
後に三伝馬取締役に出世し、徳川家繁栄を祈願された恵比壽神を授けられ、寶田神社に安置して江戸の平穏を祈願した。
御神体は鎌倉時代の名匠運慶の作と伝えられ、以来商業の守り神として10月20日の恵比壽講の前夜に市が開かれるようになった。
恵比壽講に使う鯛や神棚などと共に江戸名物の浅漬大根が売られ、売り子が大根に付いた糀を若い女性の着物に近づけ「ほら。
べったら、べったら、買わないで通ると着物にくっ付くよ。
」と戯れたことからべったら市の名がついた。
徳川家康公江戸出府401年を壽き、ここに馬込勘解由の功績を讃え碑を建立するものである。
日本橋本町の昭和通り沿いにある石碑です。
ここから東へ歩いてすぐのところに、寳田惠比寿神社があります。
名前 |
馬込勘解由の碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.0 |
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日本橋本町の昭和通り沿いにある石碑です。
べったら市の由来が書かれています。
この石碑から東側へ歩いてすぐのところに、寳田惠比寿神社があります。