十思公園の脇にあるお寺です。
新高野山 大安楽寺(高野山真言宗 準別格本山) / / / .
東京メトロ・日比谷線 小伝馬町駅すぐ近く。
江戸時代に牢屋敷があった場所とは思えないような所です。
伝馬町処刑場跡に建つ寺。
小塚原ほど陰鬱な空気に包まれていないがそれでも処刑場跡との前知識のせいか重い空気に感じてしまう。
刑死者を弔う場所に真言宗の寺院とは意外だった。
駅から本当すぐのところにちゃんとした寺院があるとは驚きです。
お寺の隣に家があり、そこで頼めば御朱印をいただけたかもですが、ちょっと声をかけづらい雰囲気だったのでやめました。
江戸時代には伝馬町の牢屋敷があり、安政の大獄の舞台であった地に明治8年に大倉喜八郎と安田善次郎の寄進により創建された。
寺院としては比較的新しい。
寺院の名称「大安楽」は大倉と安田の頭文字からとられている。
境内には伝馬町牢屋敷の柱の土台の石が残っているなど歴史の凝縮された所である。
明るい都会の片隅に、ひっそりと存在する、小さな闇。
十思公園の前に有る大安楽寺(延命地蔵尊)。
吉田松陰先生らの魂を守ります。
本日小伝馬町大安楽寺にお参りできました。
ありがたく六本木不動院のご朱印もいただきました。
ご住職さんとても暖かい方で、ゆっくり回ってくださいねと、ご迷惑をお掛けしてごめんなさいねと声をかけてくださいました。
91歳のご高齢者です。
その場で筆で書いてくださいました。
本当にありがとうございました。
ご健康をお祈りします。
江戸三十三観音霊場を回るときに、またお伺いしたいと思います。
御朱印のみですこちらではご本尊 十一面観世音弘法大師江戸ハ臂弁財天江戸三十三ヶ所観音霊場第五番札所十一面観世音兼務している六本木不動院の御府内八十八ヶ所霊場第六番札所不動明王も頂けますそれと住職が御高齢の為きちんと何を貰いたいか書込みの場所等説明して下さい。
明治8年(1875)に大倉喜八郎、安田善次郎らの寄進を受け創建されました。
寺名の大安楽寺の「大」は大倉、「安」は安田の名に由来します。
有り難く、江戸三十三観音第5番札所の御朱印 、ご本尊”十一面観世音”と、”弘法大師”、”江戸八臂弁財天”、さらに御府内八十八ヶ所第6番・六本木不動院の御朱印 ”不動明王” も頂きました。
とある方のブログによりますと、かつての罪人処刑場跡地に建てられたのが、この大安楽寺だそうです。
かつてこの一帯には伝馬町の牢屋敷があったそうで、江戸時代には多くの罪人が処刑されました。
その慰霊のために建てられたのが、こちらのお寺だそうです。
かの吉田松陰先生が処刑されたのも、この小伝馬町の牢屋敷だったそうです。
お痛ましい…すぐそばにある十思公園の隅には、先生の終焉の地を示す石碑も建っているので、併せて是非ご覧になることをオススメします。
※御覧頂きありがとうございました。
もしこのレビューがお役に立ちましたら👍を頂けますと幸いです。
小伝馬町牢屋敷に隣接されたこの地は、処刑場後であった。
ゆえに、江戸時代が終わった後も、忌み嫌われたいわゆる穢れの地であたのだろう。
そこで、大倉財閥、安田財閥の各創始者の援助を得て創建されたのが明治8年だという。
大安楽寺の「大」「安」にその名を残すが、結果として、非常に元刑場跡にふさわしい名前になったと思う。
ご住職にお伺いしたところ、関東大震災で被害を受けたが、戦災では無事だったとのこと。
刑場に消えた多くの霊を今なお慰霊するお寺である。
ご住職さんもとても丁寧にご対応いただきました。
吉田松陰処刑の地で、その他の刑死者もご供養されています。
幕末史跡のひとつです。
狭い境内ですが独特の雰囲気があります。
江戸三十三観音霊場の参拝でお伺いしました。
高野山真言宗のお寺で新高野山大安楽寺といい、霊場第五番札所になります。
霊場御本尊は十一面観世音菩薩です。
境内には延命地蔵尊・江戸八臂辯財天・宝安稲荷があります。
明治初年に麻布六本木不動院の住職である山科俊海大僧上が、小伝馬町の処刑跡地であり勤王の志士達の霊を供養する目的で発願したのが始まりです。
高野山金剛峯寺から弘法大師尊像を勧請して御本尊としています。
小伝馬町駅から徒歩10秒!高野山真言宗の仏教寺院です。
山号は新高野山。
本尊は十一面観世音菩薩。
江戸三十三観音札所第五番札所。
昔はこの辺一帯が伝馬町牢屋敷で、境内にも「江戸伝馬町処刑場跡」の碑が残っています。
1872年(明治5年)に、五大山不動院の住職であった大僧正の山科俊海が処刑場で亡くなった者たちを慰霊せんと勧進し、1875年(明治8年)に大倉喜八郎、安田善次郎らの寄進を受け創建されました。
寺名の大安楽寺の「大」は大倉、「安」は安田の名に由来するそうです。
境内には延命地蔵尊、江戸八臂辯財天、宝安稲荷があります。
身延山別院と繋がる同じ寺に見えて別の御寺。
またゆっくり訪れたい。
時代劇・歴史ファンなら、「小伝馬町」と聞けば「牢屋敷」と反応するところだが(そうか?)、この一帯はその跡地であり、このお寺は明治になって江戸時代の処刑された者たち、獄死者たちの霊を慰めるために勧進されたものである。
寺号は資金の多くを寄進した明治の大実業家「大倉喜八郎」と「安田善治郎」の姓から一字ずつ取られた。
だから、長い歴史を誇るというわけではない(明治の初期からなら、十分長いというご意見もありましょうが)。
とはいえ「新高野山」の山号を称し、寺格は高いようだ。
関東大震災により焼失するも、数年後に現在のように再建。
時代劇・歴史ファンなら、「小伝馬町」と聞けば「牢屋敷」と反応するところだが(そうか?)、この一帯はその跡地であり、このお寺は明治になって江戸時代の処刑された者たち、獄死者たちの霊を慰めるために勧進されたものである。
寺号は資金の多くを寄進した明治の大実業家「大倉喜八郎」と「安田善治郎」の姓から一字ずつ取られた。
だから、長い歴史を誇るというわけではない(明治の初期からなら、十分長いというご意見もありましょうが)。
とはいえ「新高野山」の山号を称し、寺格は高いようだ。
関東大震災により焼失するも、数年後に現在のように再建。
高野山真言宗の準別格本山。
六本木の不動院の、御朱印をいただくために、やって来ました。
住職から、「ゆっくり回って下さい。
」のお言葉を、いただきました。
早く回ると、寿命が縮むとか。
十思公園の脇にあるお寺です。
ここは歴史があって、隣の公園でひとやすみしつつ、お参りができます。
この付近には江戸時代に小伝馬町牢獄がありました。
こちらで吉田松陰ほか処刑されたと看板がありました。
終焉の地は隣の十思公園にあります。
名前 |
新高野山 大安楽寺(高野山真言宗 準別格本山) |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3661-4624 |
住所 |
|
評価 |
3.9 |
明治8年(1875年)、実業家の大倉喜八郎、安田善次郎(芙蓉グループの系譜)らの寄進を受けて創建されており、寺号は二人の名前に由来しています。
かつては伝馬町牢屋敷の一部であった。