説明板が湯島天神夫婦坂の下にあった。
湯島から本郷へ向かうなだらかな坂で新しく本郷台地から御徒町への交通の便を考えて切り開いたためこの名がつけられた。
初めは石ころだらけの急な坂だったが明治時代に電車を通すためになだらかな坂になったそうです。
石川啄木が本郷に住んでいた頃朝日新聞社の夜勤の帰りに通っていた道です。
昔々道灌の再興と伝える湯島天神の門前地で栄えた切通坂 両側に水茶屋や煮売屋が立ち並び境内の植木市や富籤に行列が絶えなかった場所その昔は中元、小人、駕籠者など下級者に幕府がら支給された土地 1614年に湯島天神門前町として発達したもう廃業してしまったが贔屓にして通った藤村や江知勝 江知勝は最後の打ち上げに行った昭和は遥かに遠くなっつまった 我等爺婆は明日のお迎えを只待つだけ😆南無阿弥陀仏、御陀仏👋
湯島から本郷に向かう春日通りにある坂道。
湯島天神を左手に見ながら登っていく感じです。
ちなみに右手にあるのが湯島ハイタウンというマンションです。
高低差は11m程度。
登っていくと左に曲がっていて、わりときつくて長い坂であることが分かります。
江戸切絵図にも名前が掲載されているので、そこそこ古い坂のようですが、湯島天神側の坂下にある説明板によると、「初めは急な石ころ道であったが、明治37年(1904)上野広小路と本郷三丁目間に、電車が開通してゆるやかなになった」とあります。
ここでいう電車は路面電車です。
坂の中程、湯島天神側に石川啄木の歌碑があるので、見ておきましょう。
歩道が狭いけど風情がある。
啄木も納得。
本郷から湯島に降りる。
湯島天神がある。
説明板は、湯島天神の夫婦坂を降りたところにあった。
説明板には下のように書かれていました。
『御府内備考』には「切通(きりどおし)は天神社と根生院(こんじょういん)との間の坂なり、是後年往来を開きし所なればいふなるべし。
本郷三、四丁目の間より池の端(いけのはた)、仲町へ達する便道なり、」とある。
湯島の台地から、御徒町方面への交通の便を考え、新しく切り開いてできた坂なので、その名がある。
初めは急な石ころ道であったが、明治37年(1904)上野広小路と本郷三丁目間に、電車が開通してゆるやかになった。
映画の主題歌「湯島の白梅(しらうめ)」青い瓦斯灯(ガストウ)境内を出れば本郷切通しで、坂の名は全国的に知られるようになった。
また、かつて本郷三丁目交差点近くの「喜之床(きのとこ)」(本郷2-38-9・新井理髪店)の二階に間借りしていた石川啄木が、朝日新聞社の夜勤の帰り、通った坂である。
二晩おきに夜の一時頃に切り通しの坂を上りしも 務めなればかな石川啄木。
説明板が湯島天神夫婦坂の下にあった。
緩やかな坂道です。
案内板があります。
1904年に作られた坂。
案内板によると「新しく湯島の台地を切り開いてできた坂なのでこの名がある」とのことです。
名前 |
切通坂 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.7 |
湯島天神の北側を右から左へ登っていくなだらかな坂で、湯島天神から下る夫婦坂と繋がっています。
夫婦坂を下ったあたりに写真にある案内板があり、由来などが詳しく書いてありました!