日本史は苦手ですが、最近何故か?
全生庵の墓地の中では一際目立ち、このお寺の墓地の中核を担っているような雰囲気を漂っている江戸城を無血開城の立役者であり彼の死を悲しんで殉死する方も多々多くあり当時としての教祖的立場もあった程の剣・禅・書の達人の幕末から明治時代に活躍した幕臣、政治家、思想家・山岡鉄舟氏のお墓🙏まるで鉄舟氏が兜を被って真っ直ぐと姿勢を正して座っているような雰囲気を感じるお墓でした✨✨一応山岡鉄舟氏がこのお寺の開基人らしいです🦉また東京都の指定旧跡に指定されています🌿🌿🌿
全生庵の中入って見つけました。
幕末の動乱の仲で東征軍の東下に対し、駿府で西郷隆盛と会見し、勝海舟と協力して江戸無血開城を実現させた山岡鉄舟のお墓です。
天保7年(1836年)江戸本所に生まれ、明治21年(1888年)7月19日に53歳で死去したそうです。
幕末三舟(勝海舟・山岡鉄舟・高橋泥舟)のうちの一人です。
明治維新後は天皇の側近として宮内大書記官や宮内少輔などを歴任したそうです。
江戸無血開城の立役者、日本の歴史には欠かせない方、正に男の中の男。
江戸時代から明治時代まで歴史に名を残す人で、江戸の三舟(他に勝海舟と高橋泥舟)の一人でした。
幕末三舟の一人山岡鉄太郎のお墓。
江戸無血開城は西郷隆盛と勝海舟の会談で決まったと思われがちだがその4日前に勝からの手紙を西郷に渡すために官軍が警備する中を「朝敵徳川慶喜家来、山岡鉄太郎まかり通る」と大声で堂々と歩行していったといいます。
西郷も山岡の忠義に心を動かされ勝との会談を承諾した。
全生庵の墓地にあり、看板もあるため分からないことはないと思います。
全生庵境内にあります。
名前 |
山岡鉄舟の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
日本史は苦手ですが、最近何故か?良く頭に入って来ます❗歴史の重大局面であった訳です。