いや、何かあったんかってなる名前だな。
竹藪の坂道をずんずん進むと立派な石碑が。
なぜこんなところに?と思いましたが、この辺りは山吹の名所として古代から沢山の歌に詠まれた名所らしいです。
竹林を抜けて 行きました。
女の一人歩きは ちょっとやめたほうがいいところです。
が、奈良時代や歴史の遺品をちりばめた 井手町です。
もったいないほど❗️
井手廃寺の発掘現場に行ってみました。
木津川右岸の高台は西に向かって緩やかな傾斜地が広がり、このスペースは寺院の建設には最高な地形となっている。
今回の発掘現場の痕跡は塔の跡と言う事が素人目にもよく分った。
敷地から推測されるのは五重塔だとの事。
橘諸兄の時代を思い起こせば奈良の都のような姿が想い描けて、嬉しくなりますね。
少し余談ですが、三十年位かな?前には橘諸兄の墓と言われていた場所が「橘諸兄公旧跡」となっていた。
井手火山灰層という100~200万年前の東方の火山噴火による火山灰が堆積した地層が崖になって見える場所がこの橘諸兄公の史跡への石段の前辺りにあります。
諸兄公については奈良時代の左大臣として、中高生の歴史にも出てくる程の人なので殆んどの日本人は名前は知ってるでしょうが、現在京都府の井手町の辺りが当時は奈良文化圏に在ったのが公に関する伝承でよくわかります。
史跡は正確に書いてください井手町の案内パンフレットは間違いです。
玉水橋からサイクルナビをスタートさせてやって来たが、途中から結構な坂道。
特に石柱の案内を左折して竹藪方向へ上がる道は激坂。
一回足を着いた。
最後の石段を上がって、まず目に付いたのが石のベンチ。
息を切らして上がって来たので実にありがたい。
ひと休みして見まわすと静寂と木漏れ日、まるで時が止まったような空間。
奈良時代の権力者は良い場所に眠っている。
供えられている榊がみな新しい。
1300年近く経っても手入れに怠りがないのは、井手町にとって特別な人だからなのだろう。
元明天皇〜元正天皇〜聖武天皇〜称徳天皇と、4人の天皇に仕えた宰相です。
特に聖武天皇の信任は絶大だったと言われています。
藤原不比等〜長屋王〜藤原四子の後が、橘諸兄の時代です。
「諸兄」という名前からすると、気さくで、相当人望があったのではないかと推察します。
いや、何かあったんかってなる名前だな。
(;^o^)
昔、行ったことあり。
正一位を生前に賜ったのは、この人含めて六人しかいない。
らしい。
歴史的な場所ですが交通の便が悪く車でないと難しいですね。
正一位左大臣橘諸兄のお墓。
橘諸兄といえばライバル?吉備真備。
竹やぶの奥にありました、季節が悪く蚊の大群に襲われかゆいのなんの。
でも立派な石碑が建ってました。
名前 |
橘諸兄公旧跡 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0774-82-6168 |
住所 |
|
関連サイト |
http://www.town.ide.kyoto.jp/rekishi_kanko/kankou_meisyo/1417411160828.html |
評価 |
3.5 |
竹林の中にあります。
1台くらいなら入り口に駐車できます。
石碑の大きさに驚きます。
地元愛が伝わってきます。