ちょっと大きな紙の御朱印ですよ。
通りがかりに立ち寄ってみました。
御朱印はインターフォンを鳴らして書いていただきました。
寺務所にて書き置き御朱印、頂きました普通の御朱印帳に貼るには、ちょっと大きな紙の御朱印ですよ。
御朱印帳を忘れてお伺いしましたが、とても親切に御朱印をくださいました。
ありがとうございました。
お墓を守るためだけ寺院の風情ですが、樹木の立派さで歴史の香りがただよいます。
東京都品川区上大崎にある高野山真言宗の高福院の直書き御朱印を頂きに参拝。
高福院は、もと高野山金剛峰寺の塔頭として創建されました。
弁財天の高福に因んで寺名が付けられたと伝えられます。
江戸時代に入り当地近くに松平讃岐守侯下屋敷が造営され、松平讃岐守侯が、同じ讃岐の偉人である弘法大師ゆかりの寺院建立を願い、高野山に招請し、高福院を当地へ引寺したのだそうです。
慶安元年(1648年)に阿闍梨頼順が開山、高輪にある高野山東京在番所(現・高野山東京別院)の控寺だったといいます。
明治の神仏分離令迄は隣の誕生八幡神社の別当をしており、御府内八十八ヶ所霊場の札所でもあります。
最寄り駅は目黒駅で、白金方面に歩いたすぐの場所にあります。
御朱印は寺務所兼御住職自宅が本堂向かって右手にありますので、呼び鈴押して対応頂く形となります。
白い着物というか白い長襦袢というか、白い浴衣を着た威厳ある御住職が書いてくださいます。
待ち時間は結構長く、しっかりと気を持ってお書きくださったのだろうと思うと、かなり気の引き締まる体験でした。
目黒駅からすぐの場所。
江戸御府内八十八ヵ所霊場の参拝でお伺いしました。
高野山真言宗のお寺で永峯山瑠璃光寺高福院といい、霊場第四番札所になります。
霊場御本尊は大日如来になります。
高福院は高野山金剛峯寺の創建時に弁財天を祀る塔頭として建立され、江戸時代に讃岐高松藩の松平頼重の願いによって大崎の下屋敷の地内に移転されたという。
江戸時代は参道左側の誕生八幡神社(戦国時代の武将太田道灌の建立)を管理する別当院を務めていた。
目黒駅から徒歩で6分位の場所に位置してます 目黒道りに面した住宅街にあり昔はさほど マンションとかなかったんだけど 時代の流れて奴ですかね 今じゃビルとマンションに囲まれてしまって凄い圧迫を感じますね ちなみにここには幼少期、遊んで頂いた近所のおじ様おば様が永眠されているので たまに線香をあげに行ってます。
季節の花が素敵な隠れ寺駅近くでこんなにも静かな場所があるのかとビックリします。
この高福院の1624年の開創で現在の住職が、18世と伝わる古刹です。
江戸時代から、現代まで伝わっているのは、江戸時代の天変地異、昭和の太平洋戦争又自然災害にも会わせず今まに至ったのが原因です。
本堂の秘仏は、見ることが、出来ないです。
(1844年)に本堂、庫裡、客殿が、天保の改革の水野忠邦造られたと言われています。
屋根瓦に菊の紋章が見られます。
H29.12.28参拝 早朝にもかかわず快く御朱印を受けていただきました。
御府内八十八ヶ所4番拝受。
ありがとうございました。
2018年9月6日、御府内八十八霊場巡り。
御朱印をいただきました。
親切な対応ありがとうございました。
高野山真言宗ご本尊 大日如来 阿弥陀如来ビルに囲まれたお寺ですが、珍しい菊花紋の鬼瓦(鬼瓦と言って良いのか?)が目を引きます。
由来は分からないそうです。
高野山真言宗 ご本尊 大日如来 阿弥陀如来 ビルに囲まれたお寺ですが、珍しい菊花紋の鬼瓦(鬼瓦と言って良いのか?)が目を引きます。
由来は分からないそうです。
真言宗の寺院普通に御朱印頂けます。
お寺の方はとても親切な方です。
高野山真言宗御府内八十八ヶ所第4番霊場平成25年11月19日参拝。
1一声掛けて 御朱印お願いしますとお伝え下さい2玄関前で待ちます3用紙を渡されますので 来たら紐を外して白紙1枚渡しての交換です4三枚用紙を受けっとて下さい5 300円玄関内で待つ(厳しい方なのでマナーに気おつけて下さい)玄関以上中に入るのは禁止です 写真一部ありますが 決して中に入らないで下さい。
寺内部の場合理由無し以外はどの寺も基本立ち入り禁止です。
名前 |
髙福院(高福院) |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3441-3859 |
住所 |
|
評価 |
4.0 |
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御朱印のみです目黒駅出て直ぐです弘法大師 御府内八十八ヶ所霊場第四番札所大日如来。