名前 |
日源上人五重石塔 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
円融寺は、天台宗のお寺でしたが、日蓮上人の高弟と呼ばれる日源上人により法華宗のお寺に変わりました。
江戸の頃には、碑文谷法華寺と呼ばれ、多くの信仰を集めていました。
碑文谷法華寺に多大な貢献をした日源上人ですが、追善供養も営まれず、遺骨も祭られないままになっていたため、江戸の寛永年間の頃に建てられた供養碑が現在の石塔です。
碑文谷法華寺の寺運は、寛永年間に最盛期を迎えたものの、不受不施派を堅持したため、当時の住職は八丈島に遠島となる等の幕府から弾圧を受けることとなり、再度、天台宗に復帰し、その後に寺号を円融寺に改められています。天台宗のお寺の一画に、日蓮宗の高僧の供養塔がひっそりと佇んでいる意味がやっと分かりました。