日光街道の古刹 聖福寺で御朱印。
聖福寺の特徴
日光御成街道に位置する歴史ある浄土宗のお寺です。
幸手さくら幼稚園隣接で、平日は閉門していますが訪問可能です。
曹洞宗寺院の門前にある曽良と芭蕉の連句碑が魅力的です。
歴史があり由緒ある浄土宗のお寺。
住職が気軽で親切、説明も感じが良い。
御堂には展示説明用の展示も成されていて、観光客向けにも最適化されている。
同一敷地で運営されている「幸手さくら幼稚園」の安全のため平日は終日閉門されており部外者立ち入り禁止感があり訪れづらい印象ですが、掲示によれば墓参りや本尊参拝のために自由に開閉して入ってよいようです。
施錠はされてません。
但し開けっ放しは厳禁、とのこと。
境内はそのまま幼稚園の園庭となっていて敷地が区分けされてないので、幼稚園の開園時間帯は避けるのが無難。
ちなみに開け閉めして入って良いという寺院としての入り口は大正通り沿いの横道ではなく旧日光街道沿いの、棒徳刃物店の横の参道を奥に進んで山門があります。
幼稚園側の入り口から入ろうとしては駄目です。
御朱印は授受されていますが御朱印帳への書き入れはしてないそうで、常時、書き置きシールで拝受する形との事です。
但し御朱印拝受の日付は書き入れて貰えます。
志納料は300円。
御朱印を頂きました。
書き置きで、シールタイプでしたので、初めて見ました。
先に 皆さんの口コミを読ませて頂き とても歴史のある寺である事がよくわかりました。
自分がお参りした時の事 隣接した「幸手さくら幼稚園」の園児達の元気な賑やかな声が お寺全体を包んで居まして…心が和らぎました。
昔はお寺の山門を通るとお手打ちになった所で、バッサリ切られた。
その理由は歴代の将軍の位牌があリ、将軍がお昼ご飯に立ち寄ったお寺で、歴代将軍は日光東照宮参拝の為に日光街道を通っていたので途中の将軍のお昼の休憩場所だった事から。
日光街道、幸手宿を代表する寺院です。
この寺院も権現桜まつり行きが道路渋滞のため、徒歩になった為偶然見つけた寺院です。
旧日光街道沿いに今も残る聖福寺は菩提山東皐院と号し、浄土宗知恩院の末寺として応永年間(1394~1428年)に開山したと伝えられています。
江戸時代には将軍の日光社参の祈りと、東照宮例大祭に天皇の代理で参拝した例弊使の帰路の休憩所に用いられ、山門は唐破風(からはふ)四脚門で将軍と例弊使以外は通行できなかったとされています。
因みに同じ読みのお寺(正福寺)が直ぐ近くにあるそうなのでいってみたいです。
~一部引用~
御朱印は印刷したものをいただける。
境内では隣接する幼稚園の園児が遊んでいてのどかである。
歴代の将軍が日光社参の折に休憩した由緒ある古刹である。
ここの檀家なので❗
日光御成街道幸手宿にある古刹。
徳川三代将軍家光が、日光社参折休憩所として使用したのをはじめとし、歴代将軍が18回にわたり休憩した寺院だといいます。
古の由緒ある寺院に巡り会えたのは、日光御成街道が混雑していたので、徒歩でさくら公園を目指していたお陰で実現しました。
実にラッキーでした。
日光御成街道・幸手宿にある古刹。
将軍と、天皇名代の勅旨が日光東照宮参詣時に休憩したそうです。
将軍と勅旨しか通れない唐門があります。
幸手市北1丁目に〔聖福寺〕があり、門前に曽良と芭蕉の連句碑が平成15年に建てられた。
幸手を行ば栗橋の関 蕉 松風をはさみ揃ゆる寺の門 良 芭蕉と曽良は、元禄2年(1689)3月28日〔奥の細道〕の旅で幸手を経て、栗橋の関へ向かった。
のちに、そのときのことを思い起こして詠まれた句。
寺の門とあるのは、この〔聖福寺〕の勅使門であろうとされる。
勅使門は幸手市の指定有形文化財となっている。
前の道(県道65号線)は旧日光街道。
隣のお寺は正福寺で、発音は同じかもしれない。
(奥の細道 ⇒ 室の八嶋)
名前 |
聖福寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0480-43-3821 |
住所 |
|
評価 |
4.0 |
周辺のオススメ

とても静かな場所にあり、かなり荘厳な建物でした。